馬塚 - 平家の追手から夜須に逃れる途中、力尽きた源希義愛馬の塚

源希義戦死伝承之地(南国市)

[ 高知県南国市岡豊町小篭 ]


今回は、前記事の関連になります。

源希義が兄・頼朝の挙兵に応じ夜須七郎と謀り土佐で挙兵をしようとしたのを、平家方の蓮池家綱・平田俊遠に知られ、夜須に逃れる途中、年越山の西側で源希義の乗った愛馬が力尽きて倒れたそうです。

源希義戦死伝承之地 - 兄・頼朝の挙兵に立ち上がるも平氏に討たれる 2016-07-15

実は、『岡豊村史』の中に、藩政時代の小籠村絵図に馬塚なるものが描かれちょるのを見まして調べてみると、如何やら源希義の愛馬を祀った塚で、馬塚と言うお地蔵さんが存在する事が解り、更に小籠村(現・岡豊町小篭)の昔の地名の小字(こあざ)を調べてみると「馬都賀」と言うそれらしき地名があったがです。

馬都賀 = うまつか = 馬塚

昔と今じゃ道も違うし、其のまま絵図通り探すのは困難でしたけんど、小籠村(現・岡豊町小篭)の馬都賀と思われる周辺を探し回って見たけんど見つからんかったので、近くで農作業をしよった方々にも、源希義の馬に関する情報はないかと聞いて見たがでした。

「知らんねー」と言う方の方が多かったけんど、お二人の方が断片的に御存じの用で、「ここら辺は、昔から馬都賀(うまつか)と言う地区で、馬を祀る大きな塚があるき、子細は解らんけんど、多分其の事じゃないろーか」と、お教え頂きました。

さっそく、お教え頂いただいたこんもりと木立の茂った場所を探したら、大きな岩の台座の上にお地蔵さんが祀られちょりました。

高さが台座を含めると大人の背丈ほどはある。

何にも刻まれちょりませんが、地名の由来や、源希義が愛馬を失った場所にも該当する地区ですので、これが源希義の愛馬を祀った「馬塚」のようです。

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歴史に「if・・・・・(もしも・・・・・)」はないけんど、逃れる途中で愛馬を失う事がなかったら、源希義は逃げ延び、その後の歴史も変わっていたかもしれんねー・・・・・。


[ 注意! ]
■ 季節によっては、マムシ(ハミ)・ヤマダニ・ヤマヒル・イノシシ・ハチ等に気を付けて下さい。
■ 特に3~12月頃の暖かい時期に山や藪に入る場合、マムシ(ハミ)には御注意の事!
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