大石弥太郎 - 武市瑞山らの赦免を同志と共に藩庁に歎願するも叶わず

大石弥太郎(香南市)

[ 高知県香南市吉川 ]


土佐勤王党結成に尽力し、盟約書の起草も手掛け、自身も2番目の血盟同志に名を連ね同党幹部として活動しちょります。

文久3年(1863年)の八月十八日の政変を気に、土佐でも土佐勤王党への弾圧が始まり武市瑞山をはじめ主要な勤王党員が投獄されるなか、大石弥太郎自身は常に藩命により行動していた事が幸いして、投獄は免れたそうです。

投獄を免れた同志達は、武市瑞山の赦免を嘆願し、建白書を提出するがですが、其の甲斐もなく慶応元年(1865)武市瑞山らは刑を受けるがです。

此の時の、建白書を書いたのも、人望のあった大石弥太郎(圓)だったがです。

(前略)
偖(さ)てかかる時に於て其趣魁となって衆を率ひて一致の行動を執(と)るべき司令者となるは誰もあらう是こそ其経歴に於て人格にの於て大石彌太郎翁を措(お)いて外の其人は無い翁は果然先づ筆を執って其建白書を起草した
(中略)
かくて同志大石翁等二十九人麻上下着用にて今度は孰(いずれ)も決死の覚悟にて武市先生と其生死を共にせんと南會所に出頭し大監察小八木卓助に面会し大石翁は衆を代表し侃々諤々(かんかんがくがく)と其處信(しょしん)を吐露し武市先生等の放免を議ひ其儀相叶はざるに於ては我々も同様同罪に行はれたしと痛言し其日は遂にそれにて引取りた・・・・・

【 参考・引用 】  『従五位大石円翁略伝』 寺石正路・著 (大正9年)


この歎願が通らず、安芸郡の清岡道之助らは実力行使を主張して野根山に蜂起するも、捕らえられ奈半利川原に散るがです。

大石弥太郎(香南市)

因みに、墓碑撰文は土佐郷土史家「寺石正路」先生です。

大石弥太郎生家跡 - 土佐勤王党に2番目に加盟 2011-06-16


[ 注意! ]
■ 墓探しで山に入る場合 は、季節によっては、マムシ(ハミ)・ヤマダニ・ヤマヒル・イノシシ・ハチ等に気を付けて下さい。
■ 特に3~12月頃の暖かい時期に山や藪に入る場合、マムシ(ハミ)には御注意の事!
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