お馬さん - 安芸川以東追放になり神峯寺登り口の旅籠に女中奉公

旅籠坂本屋跡(唐浜)

[ 高知県安芸郡安田町唐浜 ]


場所は、写真に写る土佐くろしお鉄道ごめんなはり線の高架下を右にくぐると、直ぐ、以前に神峯寺への上り口の神峯神社鳥居傍にある「へんろ石」をご紹介した場所になるがです。

へんろ石 - 26 第27番札所・神峯寺への上り口の神峯神社の鳥居傍 2015-02-23

その高架下に「よさこい秘話」と言う説明板が建てられちょります。

旅籠坂本屋跡(唐浜)

五台山、竹林寺の学僧二百余名を預る指導僧の純信と五台山麓、鋳掛屋の娘、お馬との恋の「かけおち」のため純信がお馬に花かんざしを買い求めたもので、安政元年(1854)の大地震の直後の翌、2年、5月19日の夕刻、純信、お馬と土佐山田出身の道先案内として安右衛門の三人で、物部村から国抜けし、讃岐の金毘羅、百段目の旅籠「高知屋」で捕えられ、高知の山田町奉行所で取調べられた。
この時の奉行は、ここ安田に生まれ育った儒学者、岡本寧浦の門下生である松岡毅軒であった。
この取調べの際、松岡奉行が「なぜ年が20も違う親の様な人と好きで逃げたのか」との問いに、お馬は平然として「好きになったら、年の差などどうでもよい。」と答えたと毅軒は後世に書き残している。
やがて裁きが終り、お馬は安芸川以東へ追放、この安田・東谷の神峯登り口、旅籠「坂本屋」で奉公をする身になった。
一方、純信は仁淀川以西へ追放となったが、自らの意志で国外追放を願い、伊予国、川之江の塩屋の三軒屋娚石の亀吉の世話により、学問一筋の家柄、井川家の私塾の教授となって、子弟の教育に専念する。
一方、お馬は、ここ坂本屋で奉公中、突然、追放先の変更を受けた。
理由は、純信がお馬を連れもどしに来たとのことであった。
事実不明のままお馬は、今度は高岡郡、須崎池ノ内の百姓に預けられ、のちに土地の大工とせ世帯を持ち、二男二女をもうけた。

【 参考・引用 】  説明板「よさこい秘話・由来」より抜粋


なんでも安政3年に、突然、行商人に身をやつした純信が、お馬さんの前に現れ、連れ戻そうとしたがじゃそうです。

けんどお馬さんは、愛想が付いたのか、再び一緒に逃げる事を拒み諍いになり、純信は駆けつけた役人に捕らえられたと。

せっかく真面目に働きよったお馬さんにゃ迷惑な事で、この事件により、再び須崎に追放になったがです。

旅籠坂本屋跡(唐浜)

一枚目の写真じゃと、説明板「よさこい秘話」の左背後に写る、石垣の辺りに旅籠「坂本屋」はあったようながです。

ここから、第27番札所・神峯寺へは標高630m程もあるとっと山の上にあり、途中、「遍路ころがし」と呼ばれちょった「真っ縦」と言う難所もある山道じゃったき、当時は日暮れ近くにゃ危ないきに無理に上る事を控え、此処にあった数軒の旅籠で一夜を明かし、翌朝、参拝に登って行ったそうながです。

数軒の旅籠の一つが「坂本屋」で、料亭もあり、大そう賑わいじゃったそうです。


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