兼光地蔵 - 信濃源氏の武将・木曽義仲の家臣・今井兼光の菩提に

針原集落(高知市針原)

[ 高知県高知市針原 ]


高知市内を流れる鏡川の上流部になるけんど、鏡川ダムの2Km程手前にある大河内橋を渡り、鏡川沿いを約1Km程迂回し、 山側に上って行く道をオッチラオッチラと自転車で登って行ったがです。

目的の場所(標高約180m)までは大河内橋から地図の平面上距離で約3Kmじゃけんど、北斜面の陽の当らない木々が鬱蒼とし、途中、こじゃんときつい上り坂になっちょる場所もある高低差が約160m程の山道を、何度か自転車から降りて押しながら登った次第です・・・・・。

写真は、途中の標高約100m程の視界の開けちゅう場所から見た、目的の針原集落ながです。

やっと辿り着いた、針原集落は十数軒程のこんまい集落ながでした。

如何いて、シンドイ思いまでしてと思われるかもしれんけんど、ここは源氏に所縁のある人物の伝承地ながです。

目的の物を探したけんど、なかなか見つからん。

誰ぞに聞こうかと周囲を見渡しても住民の方にも遭遇せんし、ウロウロと(他人が見たら不審者じゃったでしょう・・・爆)探し回った所、道端から遠い畑の端っこの方に何やらそれらしきものが目に入ったがです。

畑と言うても、何も植えられて無い時じゃったがでしょうか、遠目にゃ、むき出しの赤土と目的の物が同化しちょりました。

兼光地蔵(高知市針原)

これが、目的のお地蔵さんながです。

「兼光地蔵」と呼ばれちょります。

小浜城(高知市鏡小浜)

今から800年程前の平安時代末期、源氏と平氏が対立し、平氏が滅びる時期の事ながですが、この集落に”こじゃんと”綺麗な長者の娘が居ったそうながです。

所が、集落の眼下に見える小浜と言う場所に、小浜城(砦じゃろー)を築いちょった豪族が野武士や盗賊を仲間にして、周辺の集落を荒し廻っちょったそうです。

ある春の日、小浜の豪族の輩は、この集落を襲い、長者の娘をさらって行ったそうです。

長者は、娘を奪い返そうとするも、盗賊たちの小浜城も鏡川の対岸にある小高い丘じゃったもんで、なかなか手を出す事が出来んかったと。

小浜城(高知市鏡小浜)

秋になって鏡川の水量も減り、川を渡れるようになり、村人たちが娘を奪い返そうと、決戦の準備をしよった所へ、一人の僧侶が通りかかり、藁にもすがる想いで事情を話したそうながです。

子細を聞いた僧は衣を脱ぎ「弓をもて」と叫び、眼下の小浜城へ娘を助けに行ったそうです。

丁度、砦では酒盛りが行われちょって、僧の引いた弓矢は豪族や盗賊たちを次々と射て、ついに荒くれ者達を退治し、娘を奪い返したがじゃそうです。

集落にゃ平和が戻り、長者の娘と一緒になった僧は、此の地で暮らしたと言う、「めでたしめでたし」と言うお話です。

【 参考・引用 】  『高知ごりやく散歩』 市原麟一郎・著


兼光地蔵(高知市針原)

この僧侶が、信濃源氏の武将・木曽義仲の家臣で弓の名手じゃった今井兼光じゃったそうです。


木曽義仲

源 義仲は、平安時代末期の信濃源氏の武将。
河内源氏の一族、源義賢の次男。
源頼朝・義経兄弟とは従兄弟にあたる。
木曾 義仲の名でも知られる。
『平家物語』においては朝日将軍(旭将軍とも)と呼ばれている。

以仁王の令旨によって挙兵、都から逃れたその遺児を北陸宮として擁護し、倶利伽羅峠の戦いで平氏の大軍を破って入京する。
連年の飢饉と平氏の狼藉によって荒廃した都の治安回復を期待されたが、治安維持の失敗と大軍が都に居座ったことによる食糧事情の悪化、皇位継承への介入などにより後白河法皇と不和となる。
法住寺合戦に及んで法皇と後鳥羽天皇を幽閉して征東大将軍となるが、源頼朝が送った源範頼・義経の軍勢により、粟津の戦いで討たれた。

【 参考・引用 】  源義仲 - Wikipedia


木曽義仲が、近江国粟津(現・滋賀県大津市)の粟津の戦いで討ち死にした後、家臣じゃった今井兼光は土佐に落ち延びて来て、この針原に住み付いて生涯を閉じたと言うがです。

このお地蔵さんは天保年間に今井兼光の御子孫によって、菩提を弔うために建てられちょうそうです。

今でも、集落の殆どの住民は、今井兼光の御子孫になる方々のようです。

お地蔵さんの台座にゃ、「今井城之頭」の文字が刻まれちょります。

今井兼光は「今井尉之頭兼光」と言い、「尉」は「じょう」とも読みますき、「尉 → 城」となったがでしょうか?

因みに、今井兼光は、三男一女の四人兄弟の三男。

長男は義仲四天王の一人・樋口兼光
樋口兼光 - Wikipedia
NHK大河[真田丸」にも登場する、上杉景勝の家臣・直江兼続は、子孫とか・・・。

二男も義仲四天王の一人・今井兼平
今井兼平 - Wikipedia

妹は女ながら勇敢に戦ったと伝えられる木曽義仲の妾・巴御前
巴御前 - Wikipedia




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2 Comments

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マサムネ さんへ  

Re: 土佐に華やぐ歴史

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コメントありがとうございます。

2016/07/03 (Sun) 07:48 | マサムネ さんへさん">REPLY |   

マサムネ  

土佐に華やぐ歴史

破れて尚歴史連綿。
花井氏も又これに加わるかと。
花井半助
山内豊昌公に召し抱えられ出頭八百五十石を賜る。
その祖先、花井主水は松平忠輝公家臣として大阪夏の陣にて戦功(首級)第十四位。
花井吉成
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%B1%E4%BA%95%E5%90%89%E6%88%90
花井神社
http://www.nagano-jinjacho.jp/shibu/01hokusin/07sarashina/11007.htm
半助と申せば何処かで聞いた記憶が・・・。
乾正成
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%BE%E6%AD%A3%E6%88%90
板垣退助の父。
正妻:花井半助義抽の妹
ただし、板垣退助は継妻:高屋繁次長容の伯母の子息ですかね。

2016/07/02 (Sat) 21:20 | REPLY |   

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