熊野神社 - 平安時代末期、豪族・八木氏が熊野三社を勧請

熊野神社(香美市)

[ 高知県香美市土佐山田町新改  ]


場所は、以前ご紹介しちょります新改古墳より北東に直線距離でおよそ300m程の所の、新改川北岸に鎮座しちょります。

一番古い手前の一ノ鳥居には、「天保十三年壬寅九月吉日」と奉納日が刻まれちょります。

新改古墳 - 6世紀後半から7世紀初め頃の高知県内じゃ最大級の古墳 2014-09-16

熊野神社(香美市)

熊野神社 (市指定有形文化財)

平安時代末、紀伊国から熊野三社を勧請し、南ヶ内(本宮)松本山(速玉宮)西谷(那智宮)をの三ヶ所に祀った。
それぞれの社に神宮寺があり「善勝寺」「勝福寺」「勝楽寺」と称した。
松本山と西谷社は明治四十三年に本宮に合祀した。
現在の本殿は宝永六年(一七〇九)再建した三間社流造、杮葺き(現在は銅板被覆)の建物で、香美郡最古である。
銅鏡、経筒、古文書、善勝寺の脇仏(地蔵、正観音)等が伝わっている。

【 参考・引用 】  説明板より


熊野神社(香美市)

創建が平安時代末と言うと、平家が滅亡し鎌倉幕府が成立したのが1180年ですき、今から800年以上前に勧請された、古い神社ながです。

熊野神社(香美市)

新改改田 総鎮守 熊野神社

祭神 伊邪那美命    
合殿 日吉神社他
摂社 八坂神社     

由来

平安鎌倉の頃(七百年ほど前)土佐古代の名族八木氏が当所、松本谷、西谷の三ヶ所に紀伊の国(和歌山県)から勧請したという。
三社に各々神宮寺(神社所属の寺院)があったが江戸時代のはじめ三寺が合併して神田山に移り長久寺と称えた。
明治四十三年に西谷と松本の社を日吉の神たちとともに当神社に合祀し奉り今日に到る。
旧郷社
現在の本殿は宝永五年(二百六十七年前)の再建になる。

昭和五十年八月 宮司撰

【 参考・引用 】  昭和五十年に書かれた由来書より抜粋


熊野神社(香美市)

香美市 指定文化財 建造物 熊野神社本殿

宝永六年(一七〇九)の再建であり、本殿、棟札、古文書と三拍子揃った記録がある。
簡素な意匠で統一されており、数少ない十八世紀初頭の建築物として価値が高い。

(奈良国立文化財研究所技官鑑定)

【 参考・引用 】  市指定文化財標柱より


熊野神社(香美市)

因みに、宝永6年(1709)の再建は、土佐藩第6代藩主・山内豊隆が資金の援助を行って、再建されちょります。

また、享保10年(1725)年頃に、儒学者谷重遠(谷秦山)と土佐藩士・奥宮正明が編纂したとされる土佐国内に伝存した中世文書を集めた史料集『土佐国蠧簡集』に、長久寺に伝わる地蔵の蓮華座に「地蔵菩薩修復 永徳弐年壬戌(1382)正月四日 檀那伊豆守八木康綱」の銘があり、この人は、『土佐日記』にも出てくる「やきのやすのり」がその先祖とする説もあるように書かれちょります。

【 参考・引用 】  『土佐山田町史』


紀貫之の『土佐日記』にも出てくる「やきのやすのり」とは

『土佐日記』 門出

男もすなる日記といふものを、女もしてみむとて、するなり。
それの年の十二月の二十日余り一日の戌の時に、門出す。
そのよし、いささかにものに書きつく。
(中略)
二十三日。
八木のやすのりといふ人あり。
この人、国に必ずしも言ひ使ふ者にもあらざなり。
これぞ、たたはしきやうにて、むまのはなむけしたる。
守柄にやあらむ、国人の心の常として、 「今は」とて見えざなるを、心ある者は、恥ぢずになむ来ける。
これは、ものによりてほむるにしもあらず。




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