磯崎御殿跡 - 長宗我部元親が建て、『南路志』に「南国の勝景也」と・・・

磯崎御殿(高知市浦戸町)

[ 高知県高知市浦戸町  ]


前回の、「法経堂跡」の記事の最後に書いた愚痴に関連して、オンチャン的な「失われ行く史跡」としてもう一つ「磯崎御殿」を取り上げます。

記事タイトルを「磯崎御殿」としたのは、他にも観海亭・御浜御殿・栂御殿・浦戸御殿とも呼ばれちょったそうですが、『土佐奇談実話集』に「磯崎御殿の怪火」と言うお話が記載されちょり、このタイトルにした次第ながです。

磯崎御殿の怪火  (浦戸)

長曽我部元親が浦戸城を築く時浦戸港口の磯崎は(現在の浦戸御殿)に橋本某が屋敷を構えていた
元親はそこへ櫓を設計し橋本に転地を迫ったが橋本は頑として応じない
兵十名ばかりを出し橋本を討ち取り首を海へ捨て土地を強奪して櫓を構築した
櫓が出来上ると怪火が城内を飛び回り城中の人々を戦慄させた。

「橋本の亡霊ぢゃ今に恐ろしい事が起るぢゃろう」

城兵が噂しているうちに元親は滅亡し一豊の入城となって御殿が設けられた
同時に橋本の霊を祀り鎮魂祭を執行したので怪火は出なくなった。

浦戸稲荷の隣にある小祠がそれである。

【 参考・引用 】
 『土佐奇談実話集』 各地の怪奇談より 小島徳治・著(昭和32年)


磯崎御殿(高知市浦戸町)

お話にあるように、最初に櫓を建て別荘としたのは長曽我部元親じゃと伝わっちょります。

観海亭

浦戸港の東北、稲荷神社の近くの磯崎にある。

御浜御殿・磯崎御殿、また用材が栂(とが)であったために俗に栂御殿とも呼ばれた。
土佐藩主山内氏の別邸で、東は土佐湾、北と西は浦戸湾の優美な風景を望む事が出来る。

浦戸湾で行われる御船乗初式にはこの亭が藩主の観覧所となったという。

『南路志』は、「此御殿、(中略)南国の勝景也、忠義公御参勤の節繁船、晴を待せ玉ふに宴遊の地也、闇斎扁名して観海亭と号す」と記す。

【 参考・引用 】  
『高知県の地名 日本歴史地名大系40』 平凡社・刊(1983)  


藩政初期は、江戸への参勤交代は陸路ではなく船で参勤しよったようで、此処で天気待ちをして出立に備えたようですし、その後も藩主の別荘として使われ、「観海亭」と言う名称は土佐藩第2代藩主・山内忠義の時代に、山崎闇斎が命名したと記載されちょります。

磯崎御殿(高知市浦戸町)

この写真は、7~8年程前に撮影した時の、御殿跡内部の写真ながです。

磯崎御殿(高知市浦戸町)

この磯崎御殿は、明治になって豪商・川崎家が買い取ったそうですが、戦争末期にゃ海軍に徴集され第23突撃隊の浦戸基地本部宿舎として利用されよったそうですが、現在は御覧のような有様になっちょります。

磯崎御殿(高知市浦戸町)

写真は、磯崎御殿跡より西に500m程の浦戸漁港の西端から見た浦戸湾ながです。

磯崎御殿(高知市浦戸町)

現在は無いけんど、昭和37年(1962)高知港改修工事に伴い大型船舶の航行に邪魔じゃとして、袂石の近くにあった桟島(別名:狭島)を跡形も無く爆破したし、寺田寅彦の随筆『藤棚の陰から』には「明治時代に、或る岩礁を爆破したら・・・」との記述もありますき、今よりもっと島や大小の岩があったようながです。

因みに、桟島(別名:狭島)を爆破した経緯の大型船舶の為とするのは、大型フェリー就航への道筋の一環じゃったけんど、その後はどうなったかと言うと、大阪新港と結んだ大阪高知特急フェリー、東京港 - 那智勝浦港 - 高知港にフェリーを運航していたサンフラワーとも運航は廃止され、平成10年に種崎側の三里に、新たに大型船の接岸できる高知新港を造るに至るがです。

当時の行政が、県内の経済・産業の発展の為じゃったとするのは理解するけんど、どうなんでしょうねー・・・・・?

残したものは、地球が作った桟島(別名:狭島)を人間の手で地球上から消し去り、自然が育んだ浦戸湾の景観を損ねた。

似たような話は、桂浜の古い絵葉書にゃ今以上に岩礁が写っちよるし、土佐十景・甲殿住吉も多くの奇岩があったけんど、これも爆破されちょります。

まー土佐と言う所は、廃仏毀釈の激しい嵐が吹き荒れた藩の一つですき、時が流れても風潮なのでしょうか「無くなって」じゃのうて「無くしてしまって」と言える、消失・消滅させた史跡に値する物が多い事多い事・・・・・。


遺憾遺憾!

また愚痴っぽくなったけんど、昔は桂浜の外海内海共に今以上の景観が広がっちょったようですき、土佐藩第15代藩主・山内容堂も、この景色が好きじゃったと伝えられちょるがです。

兎に角、殆どの観光客は桂浜から外海の太平洋は眺めるけんど、波静かな内海の浦戸湾を見る人は少ないろーねー。

橋の上から見える景色とも違うし、桂浜の駐車場から見える浦戸湾とも、また違うがよ。

あーもったいない。

ちゃんと整備して海が望めるようにしたら、観光にも役立つと思わんかよ。

磯崎御殿(高知市浦戸町)

と言っても現状は私有地じゃき仕方ないけんど、県や市の観光担当部署が高知の新たな史跡発掘になると立ち上り、土地所得なり整備を考える英断を推し進めたら、「桂浜」~「長宗我部」に繋がる懸け橋にもなるんじゃないかと思うし、交通手段が無く、行きたくても行けれん、現状は史跡とは名ばかりで県民にも観光客にも、なーんの役にもたたん「丸山台」よりは史跡として生きると思いますがねー。

丸山台へ行こう 2009-09-10
丸山台 2008-12-11


あーそうそう、ここもオンちゃん的には「史跡・土佐怪異伝承の地」の一つです。
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