法経堂 2 - 名僧・黙堂大和尚が 「ケチ火」を鎮める

法経堂跡(高知市薊野・一宮)

[ 高知県高知市薊野・一宮境辺り  ]


ここが、「ケチ火」伝承の残る法経堂跡ながです。

法経堂跡(高知市薊野・一宮)

登り切った直ぐ東側の木立の中に、台座を含めて高さが2m以上はある、ざまーな(大きな)宝篋印塔が建っちょります。

これが一つ目の法経堂の遺物です。

ありゃー、宝篋印塔の最上部の「相輪」と言う棒状の部分が、のう(なく)なっちゅう。

どういた(如何した)事じゃろー・・・・・。

法経堂跡(高知市薊野・一宮)

と思って、周囲を見たら台座の部分になる壇上積みの石段脇に建てかけられちょりました。

この宝篋印塔は1700年代中頃に建てられた物じゃと思いますき、約300年間宝篋印塔の上にあったものが、劣化と強風かなんぞの原因じゃろーか、この数年の間に落ちたと言う事ながです。

とハッキリ言えるのは、下の写真は4年半程前の平成23年(2011)12月に、登って来た時の写真ながです。

法経堂跡(高知市薊野・一宮)

此の時は、ちゃんと宝篋印塔上部に「相輪」はありましたき。

法経堂跡(高知市薊野・一宮)

そして二つ目の法経堂の遺物は、此れも3m程はあると思う、ざまーな(大きな)石の地蔵尊ながです。

法経堂跡(高知市薊野・一宮)

これは、宝珠のようですき、これも供養塔か何ぞの遺物じゃと思われます。

これらの遺物が「法経堂のケチ火」に関わる遺物ながです。

「法経堂のケチ火」に関する怪異が起こり始めたとされる正確な年代は定かじゃないけんど、憶測で言えるのは前述したように1700年代中頃じゃと思われます。

と言うのは、この地に宝篋印塔と地蔵尊を建てたのは、江戸時代の名僧・黙堂大和尚ながですが、この黙堂大和尚は貞享4年(1687)年に下野国(現・栃木県小山市)に生まれた人で、12年間比叡山で修行した後、42歳の時じゃと言いますき享保14年(1729)頃に土佐の名刹国清寺の第4世住職となり隠居寺に石城寺を開山し、明和5年(1768)享年82歳で亡くなられちょります。

ですき享保14年(1729)頃から亡くなられる明和5年(1768)以前の、土佐藩第8代城主・山内豊敷の時代に「ケチビ騒動」が始り、黙堂大和尚が宝篋印塔と地蔵尊を建てるに到ったと考えられるがです。

この黙堂大和尚は大変法力に優れたちょった方だったようで、比叡山の火災をその上空に雨雲をもたらして消火したとの逸話も伝わっちょるそうで、近隣に名声が轟いちょったと言われる名僧じゃったがです。

いっつも前置きが長いけんど、その「法経堂のケチ火」と言う伝承話は下記のようなお話ながです。

ある時、土佐藩の飛脚が江戸からの重要書類を運ぶ途中、この法経堂付近で大事な書類が無くなった事に気付いて来た道を引き返して懸命に探したけんど、とうとう見つからんかったそうです。

藩の重要書類じゃき、藩庁に「こうこうしかじかで、文を無くした」と弁明しても、重大なお咎めを受けるか、もしくは死罪に値すると思うたがでしょう、自ら責めを負って自害したそうながです。

それ以後、此処にケチ火(怪火)が出没しだし、人々は恐れたそうです。

そこでケチ火(怪火)の怪異を聞いた黙堂和尚は、法力で「宝篋印塔」と「石の地蔵尊」を軽くして、此処まで村人に運ばせて建て、自害した飛脚を供養し、この地を法経堂と名付けたそうです。

それ以後、ケチ火(怪火)は治まり、多くの参拝者が訪れるようになったそうです。


黙堂寺 - お堂の下にゃ、国清寺第4代住職・黙堂和尚が眠る 2011-09-05
赤坂観音堂 - 土佐西国三十三観音霊場の番外寺 2011-10-03

法経堂跡(高知市薊野・一宮)

今は訪れる参拝者は殆ど皆無ながでしょう、お堂じゃったであろう建物も、屋根も落ち朽ち果てちょります。

法経堂跡(高知市薊野・一宮)

周囲も木々が生い茂り荒れ放題の状態で、僅かにハイカー達が踏み固めた道筋だけが、確認できます。


今はこのようにれ荒れ果て無残な有様です。

どんな史跡でも、整備すれば「生きた史跡」になるけんど、このまま何もしなければ時と共に風化によって朽ち去るか、雑草や樹木に覆われ人を寄せ付けないように自然の中に溶け込んで、やがては場所も分からなくなり「あーそう言えば、昔あったねー・・・」で片付けられる「場所の一つ」になる。

文字の上での記録は残っても、何時しか人々の記憶からは忘れ去られて行くがです・・・・・。

長年、仕事で全国各地に行き、いろんな史跡・旧跡を見て来た経験から言うと、土佐に帰って来て地元を眺めると観光に役立ち収益を生まんような遺物は「無用の長物」としか見られていないような雰囲気が否めません。

土佐の墓山も含めて、特に土佐にゃそんな場所がいっぱいあるように思います。

確かに此処は、わざわざ観光客が来るような場所ではないけんど、土佐の歴史遺産の一つには間違いないとは思います。


最後は愚痴でしたが、オンチャン的には「史跡・土佐怪異伝承の地 法経堂跡」でした。


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