中山刺撃 - 土佐勤王党に137番目に加盟

中山刺撃(高岡郡佐川町)

[ 高知県高岡郡佐川町 ]


周辺にある墓域は、かなり荒れ果てちょり、一部を除いて殆どが無縁墓の様相でした。

中山刺撃は土佐勤王党に血盟加盟した時の名で、棚橋御樹(たなはし みき)が本名ながです。

中山刺撃(棚橋御樹)は、弘化元年1(1844)に佐川騎馬百五十石取・棚橋清左衛門の子として生まれちょります。

土佐勤王党に加盟した中山刺撃(棚橋御樹)は、文久3年(1863)に土佐勤王党の獄(弾圧)の際には、初めは親類預けとなり謹慎させられるがですが、仲間の池 大六(山中安敬)・井原応輔・那須守馬(片岡利和)・橋本鉄猪(大橋慎)・浜田辰弥(田中光顕)の五人が脱藩した事から、土方左平・岩神主一郎・古沢南洋・古沢滋・鳥羽謙(謙三郎)らと共に投獄され厳重な監視のもとにおかれたがです。

慶応3年12月9日(1868年1月3日)に江戸幕府が倒れた事で、新政府の樹立を宣言した王政復古の大赦によって、やっと罪を許され出獄後、上京したけんど志を得ずして土佐に帰って来たそうです。

【 参考・引用 】  『土佐の墓 その三』  山本泰三・著


墓石にゃ「明治十八年一月九日歿 享年四十二歳」と刻まれちょります。

赤土峠 - 佐川勤王五士達の「脱藩志士集合之地」碑 2015-03-23
岩神主一郎 - 土佐勤王党に134番目に加盟 2015-03-27


[ 注意! ]
■ 墓探しで山に入る場合 は、季節によっては、マムシ(ハミ)・ヤマダニ・ヤマヒル・イノシシ・ハチ等に気を付けて下さい。
■ 特に3~12月頃の暖かい時期に山や藪に入る場合、マムシ(ハミ)には御注意の事!
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