武政左喜馬 - 土佐勤王党に100番目に加盟

武政大道頌徳之碑(高知市春野)

[ 高知県高知市春野町森山 ]


高知市春野町の森山公民館前に、写真の頌徳之碑が建っちょります。

武政大道頌徳之碑(高知市春野)

そこには「大道武政先生」とあり、土佐勤王党に100番目に血盟参加した武政左喜馬の事ながです。

武政大道は名で、通称左喜馬と言い、号は守山(しゅざん)別号・護山。

守山(しゅざん)は「もりやま」と読めるき、生まれ育った森山(もりやま)から付けた号じゃないかと・・・・・。

天保6年(1835)に吾川郡森山村(現・高知市)の養良塾を開いて子弟を教育しよった順作の子として生まれちょります。

守山は父に学んでその業を継ぐかたわら学に励み、間崎滄浪(哲馬)の門で経史を学び学頭となり、のち伊勢の土井贅牙 (どい ごうが)にも学んだようです。

文久年間に土佐勤王党に武政左喜馬定敬として血盟しちょりますが、志士たちが脱藩し勤王運動に加わる中、大道は塾教育を捨てきれず、教育に尽くして吾南地区の人材の育成に努めちょります。

維新後は県会議員(第一回目)や、学区取締役等を勤めちょります。

明治32年(1899)65歳で没。

【 参考・引用 】  
『高知県人名事典』 高知新聞社 
『土佐の墓 その三』  山本泰三・著


この碑は、その教え子たち(子弟)によって建てられた頌徳之碑です。

間崎滄浪(哲馬)邸跡 - 青蓮院宮令旨事件で投獄 2010-04-19

武政大道頌徳之碑(高知市春野)

碑の撰文は横山又吉(黄木)です。


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