楠瀬六衛直樹 - 土佐勤王党に169番目に加盟

楠瀬六衛直樹(高知市)

[ 高知県高知市秦泉寺 ]


楠瀬六衛直樹は、天保13年(1842)に土佐の文人・楠瀬大枝の子として高知城下新町(現・高知市桜井町)に生れ、剣を武市瑞山に学んじょります。

楠瀬六衛直樹(高知市)


文久2年(1862)吉田東洋暗殺後、探索厳しく党員間で議論沸騰して集団脱藩の動きさえあった際、瑞山の密使として書簡を山内容堂の弟で勤王党に協力的な山内民部に届け、遂に重役更迭を見た。

6月藩主・山内豊範に付き従って上京し、10月勅使東下に正勅使・三条実美の護衛に当る。

【 参考・引用 】   『高知県人名事典』 高知新聞社 (平成11年) 


楠瀬六衛直樹(高知市)

戊辰戦争では各所に転戦し、慶応4年(1868)6月12日白河の戦いで受けた銃傷が元で、3日目に27歳の生涯を閉じちょります。

墓碑

明治元年戊辰従軍官軍以奥会兵連
戦六月十二日於奥州白川中丸帰吾
營後三日而仆時年二十七


土佐の墓は遺髪墓で、福島県白河市の長寿院に眠っちょります。

長寿院西軍墓地 1 - 白河方面の戦いで亡くなった土佐藩兵18名が眠る 2016-02-03

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