慈仙院 - 野中兼山の娘・婉さんが曽祖母のために建てた墓

慈仙院墓(高知市)

[ 高知県高知市筆山町 ]


潮江神社の方から、黒門と呼ばれる筆山への上りの石段を20~30m程上った右側に「慈仙院」の墓はあるがです。

慈仙院墓(高知市)

上の説明板は野中兼山の墓所に設置されちゅうがですが、その野中氏の系図にあるように、慈仙院(法号)は土佐藩初代藩主・山内一豊の妹・合姫と言い、野中兼山の祖母になるがです。

野中兼山 - 野中兼山一族の墓所 2015-10-13|
山内一豊墓 2011-02-02

最初は、野中兼山の祖父・良平に嫁ぎ、兼山の父・良明を生んじょります。

祖父・野中良平の妻は山内一豊の妹合(ごう)で、父・良明は5000石を領していた。
藩主・一豊は、良明に対して幡多郡中村2万9千石を与えると約束していたが、一豊の死後に反故にされたために浪人となっていた。
兼山の母は大阪の商家の娘で、父の死後、兼山は母とともに土佐に帰った。
13歳のとき、土佐藩の小倉少介に見込まれて、父の従兄弟で奉行職の野中直継の娘・市の入婿となった。
15歳で元服し、良継と名乗った。
寛永13年(1636年)、養父の直継が病死すると野中家を継いで奉行になった。

【 参考・引用 】  野中兼山 - Wikipedia


小倉省助・三省父子の墓 - 小倉三省は藩政初期の重臣で儒学者 2013-08-30

慈仙院墓(高知市)

慈仙院(合姫)は兼山の祖父・野中良平が亡くなった後は、祖父・野中良平の弟・野中益継と再婚しちょりますき、墓の右側面にゃ「野中主計益継孺人」と刻まれちょります。

孺人とは

①大夫(諸侯の家老)・大官の妻のこと。
②妻の通称。

【 参考・引用 】  孺人 - ウィキまとめ


慈仙院墓(高知市)

また墓の左側面にゃ「野中良継女 婉植之」と刻まれちょり、野中兼山の四女・婉さんが建てちょるがです。

慈仙院は正保三年(1646)に94歳でみてちょります。

野中兼山の失脚後、一族は罪を着せられ男子の系統が絶えるまで幡多郡宿毛に幽閉され、幽閉が解かれたのは野中兼山の死後40年後の元禄16年(1703)にやっと婉さんは釈放されちょるがですき、この墓は釈放された婉さんが曽祖母のために再建した事になるがです。


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