村田角吾 - 土佐勤王党に98番目に加盟

村田角吾(香南市)

[ 高知県香南市吉川 ]


村田角吾貞宜は文政3年(1820)に村田克隆の二男に生れ、村田馬太郎(帰本)、その弟・忠三郎らと勤王を唱え、土佐勤王党には98番目に加盟しちょります。

文久2年(1862)に、三条実美が勅使として江戸へ下る際、土佐藩主・山内豊範がこれを護衛することになったけんど、随行出来んかった同志たちは山内容堂の警護に当るため自費で江戸に出て、組織された五十人組の六番隊伍長・中岡慎太郎の班に加わり、容堂を警護して京に行き、土佐に帰国しちょります。

その後、山内容堂の弟・山内兵之助(山内南邸三代・豊積)の歩行役となり京に上り、諸藩の志士と交わり国事に奔走しちょります。

墓碑にゃ、明治24年(1891)72歳で亡くなったと刻まれちょります。

村田角吾(香南市)

【 参考・引用 】  『土佐の墓 その三』  山本泰三・著



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