丹生神社 - 不老不死の仙薬が繋ぐ真言密教の水銀に関わる

丹生神社(土佐市宇佐)

[ 高知県土佐市宇佐町井尻 ]


宇佐の宇佐大橋を渡った所に鎮座しちょります丹生神社です。

勧請年月や縁起は不明じゃけんど、御祭神は罔象女命 (みつはのめのかみ)じゃそうで、昔は、丹生大明神(たんじゃくだいみょうじん)と言いよったそうです。

ミヅハノメは、日本神話に登場する神である。
『古事記』では弥都波能売神(みづはのめのかみ)、『日本書紀』では罔象女神(みつはのめのかみ)と表記する。
神社の祭神としては水波能売命などとも表記される。
淤加美神とともに、日本における代表的な水の神(水神)である。

『古事記』の神産みの段において、カグツチを生んで陰部を火傷し苦しんでいたイザナミがした尿から、和久産巣日神(ワクムスビ)とともに生まれたとしている。
『日本書紀』の第二の一書では、イザナミが死ぬ間際に埴山媛神(ハニヤマヒメ)と罔象女神を生んだとし、埴山媛神と軻遇突智(カグツチ)の間に稚産霊(ワクムスビ)が生まれたとしている。

神名の「ミヅハ」は「水走」と解して灌漑のための引き水のことを指したものとも、「水つ早」と解して水の出始め(泉、井戸など)のことともされる。
『古事記』には他に闇御津羽神(クラミツハ)があり、これも同じ語源と考えられる。
「ミツハ」に「罔象」の字が宛てられているが、罔象は『准南子』などの前漢の文献で、龍や小児などの姿をした水の精であると説明されている。

灌漑用水の神、井戸の神として信仰され、祈雨、止雨の神得があるとされる。

【 参考・引用 】  ミヅハノメ - Wikipedia


丹生神社(土佐市宇佐)
伝承では弘法大師が勧請したと言われちょりますが、この丹生の「丹」とは丹砂(たんしゃ=硫化水銀)の産地であった事をも意味しちょるがです。

丹砂とは、知らず知らずによう目にするがが神社の鳥居等の「朱色」がそうながです。

朱色は、昔から魔除けとか神聖な色とされちょるようで、古代人も赤い色を神聖な色と感じたのか埋葬等に使われちょりますが、当時の物はベンガラ(酸化第二鉄)と辰砂(硫化水銀)を砕いた物が主だったようです。

古代人は、大地を赤く照らす太陽の光や、炎の赤色を神聖に感じたのが始まりじゃないろーかと思うたり・・・・・。

この丹砂から水銀朱を取りだす技術を日本にもたらしたのが、「徐福伝説」に関係のある渡来人じゃったと言われちょります。

「徐福伝説」とは、秦の始皇帝の命により、徐福ら一行が不老不死の仙薬を求めて日本にやって来たと言う伝説ながです。

【 参考 】  徐福伝説


当時(秦の時代=約2200年ほど前)、不老不死の最大の仙薬が、丹砂(硫化水銀)じゃったとされちょります。

前述したように、日本の古代人は丹砂を砕いての使用じゃったけんど、丹砂から水銀を取りだすには加熱して蒸発した蒸気を冷却したらエイがでして、現代じゃ化学の知識があれば何の事はないけんど、当時としたら画期的な錬金術じゃったがです。

硫化水銀の化学式はHgS(Hg=水銀とS=硫黄の化合物)です。

加熱するとHg↑水銀は蒸発するき、焼酎の蒸留法と同じように蒸気を冷やせば、水銀が取り出せるがです。

日本で水銀鉱床が密集しちゅうがは何処かと言うと九州から四国山脈をを経て和歌山県を流れる紀ノ川沿いに到る、日本列島を縦断する中央構造線上ながです。

其処に何があるかと言うと、水銀は勿論じけんど金等も含む鉱物資源ながです。

特に多く水銀鉱床が密集しちょったと言われちょるのが紀ノ川沿いじゃそうで、弘法大師(空海)を真言密教の聖地・高野山に導いたのは、朱砂を支配する一族の祀る女神・丹生都比売大神で、その総本山「丹生都比売神社」も、紀ノ川の上流にある。

水銀を意味する丹生を「にう」とも発音するため、四国各地には同じ読みの壬生・荷尾・入郷等の地名が多く、弘法大師が四国霊場を開いたのも、水銀鉱床の点在する場所が多かったからだとも言われちょります。

そうした事から「弘法大師(空海)」が「山師(鉱物資源を探す鉱山技師)」じゃったと言われる由縁ながです。

話は、飛び飛びになりゆうけんど、宇佐の丹生神社のある周辺も、当然、丹砂に関わりがあり、すぐ傍に四国霊場第36番札所・青龍寺もあるがです。

郷土史家・広谷喜十郎先生の「広谷喜十郎の歴史散歩」には下記のように記述されちょります。

『高知県神社明細帳』に、〈井ノ尻浦の氏宮也、弘法大師勧請之由伝、但 弘法之青龍寺開基之節 井ノ尻へ八人衆残置之候
由、今以八人衆ノ子孫相続也、同所之渡守モ其砌残置之相続テ渡守勤之〉と記述されている。
近藤喜博氏の著書『四国遍路研究』によると、〈その海辺は赤浜とも呼ばれていた。名の如く、この浜一帯の赤色は長期に及ぶ朱砂堆積があったからによる〉といわれている。
また、松田寿雄著『丹生の研究』(早稲田大学出版部)でも、近くの36番札所・青龍寺の奥の院付近から朱(水銀)が検出された、との報告している。
松田氏は、赤色の原料には水銀系(朱砂、硫化水銀)があり、その産地に「丹生(にゅう)」という地名や神社名が残るという。
そして、井ノ尻八人衆に触れ、丹生神社に奉仕し、舟渡しの特権を与えられていた彼らも朱の採掘に参加していた可能性が高い
と、述べている。

【 参考・引用 】  広谷喜十郎の歴史散歩 122


その青龍寺と言えば、弘法大師の独鈷落下伝承がある。

縁起

日本に寺院を建立しようと、東の空に向かって独鈷杵を投げ、有縁の勝地が選ばれるようにと祈願した。
独鈷杵は紫雲に包まれて空高く飛び去った。

帰朝後、大師がこの地で巡教の旅をしているときに、独鈷杵はいまの奥の院の山の老松にあると感得して、ときの嵯峨天皇(在位809〜23)に奏上した

【 参考・引用 】
四国八十八ヶ所霊場公式ホームページ:第36番 独鈷山 伊舎那院 青龍寺


と縁起にはあり、唐の国より放り投げた独鈷が落ちた場所と、朱(水銀)が検出された場所が同じ、青龍寺の奥の院付近じゃったと言う事とは、何か重要な意味合いがあったがじゃないかとも想像しちょります。

それに、当然、この宇佐(土佐市)の西に位置する須崎や佐川も「徐福伝説」が伝承されちょるがです。

『佐川町史』にある「郷土の伝説―鉾ヶ峯縁起」には、不老不死薬を求めて船出した徐福一行は、佐賀県寺井津に上陸し、さらに仙薬を求めて辿り着いたのが須崎浦じゃったと言う。

須崎市の北側に、標高約675mの虚空蔵山(こくぞうさん)と言う山があるがですが、海上から見た徐福一行は、仙人が住むと言う五神山の一つ「蓬莱山」じゃと思い須崎に上陸し、土地の者からも「蓬莱山」だと教えられたと言う伝承ながで、須崎の浜を「富士ヶ浜」と言う。

その後、徐福一行は更に東に旅し現在の富士山にも到るがです。

平安時代に、僧侶の寛輔が、「蓬莱山」とは富士山を指すと述べた。

【 参考・引用 】   蓬莱 - Wikipedia


因みに、土佐の戦国武将・長宗我部氏は、秦王朝の始皇帝の流れを汲む一族」ともされちょります。

最後に、弘法大師(空海)が修業したと伝わる宮島の弥山(みせん)と、36番札所・青龍寺とを線で結んだ時、その線上附近には土佐のもう一つの「丹生神社」と「蓬莱神社」が佐川にあり、「徐福伝説」の虚空蔵山(蓬莱山)もあると言うのは偶然じゃろーか・・・・・。

水銀と硫黄が化合した丹砂は赤土じゃけんど、一般にゃ酸化鉄が含まれた「赤い土」を指すがでして、佐川にも「丹生神社」があると書いたけんど附近に朱砂(水銀)鉱床があったとは聞かんがよ。

疑問として、如何して佐川に「丹生神社」があるんだろうかと?・・・・・。

ただ近くには、幕末に田中光顕ら佐川の勤王の志士が脱藩を決意し集合した「赤土峠」がある。

オンちゃんの、与太咄でした。

そうそう、須崎にも四国別格二十霊場 第5番 高野山 大善寺(真言宗)があるがして、現在、須崎の発生寺は浄土宗のお寺さんじゃけんど、明治の廃仏毀釈の起こる江戸時代までは真言宗・大善寺の末寺じゃったがです。


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