長寿院西軍墓地 1 - 白河方面の戦いで亡くなった土佐藩兵18名が眠る

長寿院西軍墓地(白河)

[ 福島県白河市本町北裏30  ]


福島県白河駅の南口を出て、400m程東に行った所にあるヨークタウン白河横町店の手前を南に入った所に長寿院はあるがです。

此処には戊辰戦争・白河方面での戦いで亡くなった西軍の墓所があり、土佐藩関係の戦没者18名が眠っちょります。

長寿院西軍墓地(白河)

慶応戊辰殉国者墳墓(西軍)

この墳墓は慶応4年(1868)の戊辰戦争・白河方面における戦死者を祀ったもので、西軍各藩である長州藩(山口県)・土佐藩(高知県)・大垣藩(岐阜県)・館林藩(群馬県)・佐土原藩(宮崎県)各藩の戦没者が眠っている。
墓は全部で116基(薩摩19、長州30、土佐18、大垣13、館林7、佐土原藩19)あったが、大正期に薩摩藩(鹿児島県)の墓所は小峰城東側の鎮護神山に改葬された。
戊辰戦争白河口の戦いでは、東軍(奥羽越諸藩)と西軍による大規模な戦争が行われ、合わせて千名近い戦死者を出している。
東軍諸藩の戦死者の墓は、市内各所に所在している。

本町復起会

【 参考・引用 】  説明板より



長寿院西軍墓地(白河)

墓所に入ると、参道両脇に大きな石燈籠2基が建っちょります。

長寿院西軍墓地(白河)

右の一周り大きい石燈籠にや「大久保利通」の名が刻まれちょります。

今夏六月  龍賀東幸
利通奉陪従先発之命
途経白河駅 詣戊辰之役官兵戦死者之墳墓
茲奠燈台一基、謹表追弔之意云
明治九年五月廿八日 大久保利通


大久保利通は東巡の先発隊として先に来て、献燈しちょります。

長寿院西軍墓地(白河)

左の石燈籠は、岩倉具視と木戸孝允が献燈しちょります。

明治九年丙子六月
龍賀東巡扈従之次過于此弔戊辰戦死諸子之霊
従一位 岩倉具視
従三位 木戸孝允建



これは、明治9年(1876)6月に、戊辰戦争慰霊巡業に明治天皇が東巡されちょりますが、その際、岩倉具視や木戸孝允らが扈従(貴人に付き従うこと)として一緒に来ちょったそうです。

長寿院西軍墓地(白河)

墓碑は一人毎に建てられ姓名、卒せし年月日、行年等が刻されている。
この墓に詣でる者、誰でも若きは十六・七歳多くは二十歳前後の青年武士が勤王の志を抱いて遠く奥羽の地に苦戦した忠誠に感ぜしめられる。
明治三十年頃までは切り髪に黒縮緬の紋付羽織を着た未亡人や遺族等の墓参もあったと伝えられるが、歳月を経る今は縁者の弔うものは更に見えない。
されど地方人の志ある者は香華を手向けている。
(中略)
長寿院が西軍の墓所となった因縁は、五月朔日の激戦の日に白河町寺院住職の多くは避難せしが、当寺の住職が豪快で寺院を守り居たれば、西軍この寺院に戦死者を託して回向を謂いたるによると伝えている。

【 参考・引用 】  
『戊辰白河口戦争記』 佐久間律堂・著
井上幸雄 (訳注)・金子誠三 (訳注)・ 鈴木完一 (編集)
戊辰白河口戦争記復刻刊行会・昭和63年(1988)

オリジナル本は昭和16年(1941)発刊



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