若宮八幡宮 - 冤罪で処刑された義民・高橋安之丞を祀る

若宮八幡宮(長尾山)

[ 高知県高知市佐々木町 ]


土讃線を挟んで旭小学校の北側に長尾山と言う東西に細長い然程標高の無い山があるがですが、その南面に「若宮八幡宮」と言う神社の社標と狛犬が鎮座しちょります。

参道は長尾山の尾根を北に降り、旭が丘ニュータウンへの上り口を左折し、塚の原東公園を北に上った所まで続いちょります。

最初の社標と狛犬のある場所から鳥居までの距離が、平面上で約350mもあるがです。

若宮八幡宮(長尾山)

若宮八幡宮(長尾山)

此処が、義民として知られちゅう高橋安之丞を祀る若宮八幡宮で、社殿が新しいのは、昭和63年に不審火で社殿を焼失し、平成16年に再建されちょるがです。

若宮八幡宮(長尾山)

若宮神社御由緒書 高橋安之丞(たかはしあんのじょう)

義民安之丞は、吾北村上八川田野々の里正、高橋安ヱ門の長男として慶安元年(1648)頃に生れる。(里正は名字帯刀を許される地位であり今の村長各であります)
貞享(1684~1687)のころは土地を開墾、茶の栽培を奨めるリーダーとなっていた安之丞は貞享の飢饉の時、村を救おうと、年貢の減額を藩に嘆願したが、役人と安之丞の活躍を妬む者に「一揆の首謀者」と密告され、杓田村のはずれで役人に縄を打たれ入牢させられ取り調べもせず元禄(1688)元年十月雁切川(一説に九反田)において獄門さらし首となった。
その夜に首が飛んで自宅に帰り、妻の用意した食事を平らげたという。
役人の娘は処刑の同時刻に変死、その後役人も自害、さらに罪に陥れた者達の周辺にも不審な災難が続いたという。
胴体は杓田村の百姓清兵衛に下げ渡された。
安之丞、十八歳の時、城下の帰り道に十四、五歳ぐらいの少年が道端で嘆き悲しんでいた。
尋ねると、「私は杓田村の者で父は長患いの床にあり、毎日草鞋を作り、薪を売って、父の好きな酒を買って帰る途中、誤って徳利を割ってしまい再び酒を買うお金もなくて、途方にくれています」と。
それを聞いて孝行に感激し、酒や薬を買い求めて帰らせた。
のちに少年は、父に薬を買い与えると病が治り、親子で喜び終生この恩を忘れないと感謝した。
この少年が清兵衛で、その後家業に励み、杓田村にて立派な百姓になった。
安之丞が処刑に逢うや、官に願い出て、胴体を家に引き取り、新しい衣を着せ家の近くに埋葬した。
その後埋葬地に墓を建てたのが、この地の始まりであります。
そのそばに安之丞を奉る若宮神社が建てられ、義民高橋安之丞と多くの人が崇め親しまれて来ましたが、昭和六十三年四月二十六日未明、悪しき者に放火され焼失。
平成十六年七月三十一日に、関係者、及び町内の御協力により社殿を創建、その後境内地も整備され今に至っております。

若宮神社社務所「本宮神社内」

【 参考・引用 】  由来書より  


若宮八幡宮(長尾山)

傍に、殉難二百五十年記念に建てられた「嗚呼(ああ)義民高橋安之丞墓」と刻まれた大きな墓碑が建っちょります。

元禄元年(1688)吾川郡上八川の庄屋高橋安之丞が冤罪で長芝で処刑にせられた。・・・・・

【 出典・引用 】  『高知市史跡めぐり』 橋詰延寿・著 (昭和44年)より抜粋



因みに、由来書にあるように、この地は高橋安之丞の「胴体」を埋葬し「若宮八幡宮」としちょりますが、高知県吾川郡いの町上八川にも同名の「若宮神社」があり、お墓もあるそうです。

若宮神社 

高知県吾川郡いの町上八川

元禄元年(1688)の創建。
貞享年間、この地方一帯は連年の旱魃とイナゴの害によって名伏しがたい状況であった。
村の庄屋・高橋安之丞は、村民に私財を分け与え、年貢を立て替え、施米などの救済に手を尽くしたが独力では限りがあり、 村の有力者たちと協議して、山内家仕置役岡部嘉右衛門に年貢の減額を訴願することを決意した。
この村には高橋安之丞を嫉み、折あらば自分が庄屋にならんと欲する川橋三蔵というものがいた。
三蔵は高橋安之丞の訴願を知ると、 岡部嘉右衛門を訪ね「高橋安之丞の訴願は嘘であり、彼が減税の上前を私腹に入れる謀りごと」であると讒訴した。
岡部は三蔵の言を信用して、高橋安之丞を捕え、元禄元年(1688)に処刑した。
高橋安之丞の死後、 岡部をはじめ虚偽の申し立てをした三蔵など、つぎつぎと悲惨な最期を遂げたため、 村人たちは高橋安之丞の祟りであると話し合い、高橋安之丞の遺骸を懇ろに埋葬し、墓のそばに社殿を造営して祀った。

【 出典・引用 】  
『郷土を救った人びと―義人を祀る神社―』 神社新報社 (昭和56年)




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