小倉三省屋敷跡 - 谷時中に学び野中兼山と共に南学の発展に尽くす

小倉三省生誕地(高知市)

[ 高知県高知市本町三丁目 ]


写真のNHK高知放送局の西隣、工事用のグリーンのネットが張られちゅう現・高知信用金庫のある辺りが、土佐南学の発展に尽力を尽くした一人、小倉三省の屋敷があった場所になるがです。

小倉三省誕生地

本町三丁目(旧中島町五十五番地)高知スターレーン。
NHK高知市局西隣である。・・・・・

【 出典・引用 】  『高知市史跡めぐり』 橋詰延寿・著 (昭和44年)より抜粋


ただ一つ疑問が。

と言うのは、『高知市史跡めぐり』じゃと誕生地じゃけんど、「小倉省助・三省父子の墓」の記事で書いたように『高知県人名事典』の記述じゃと慶長8年(1603)に近江山上(現・滋賀県東近江市山上町)に生まれた事になっちょりますき、此処は土佐に来て住んだ屋敷のあった場所になるが。

まあ、どっちが正しいのか判らんけんど、小倉三省の所縁の場所には違いはないですが・・・・・。

小倉省助・三省父子の墓 - 小倉三省は藩政初期の重臣で儒学者 2013-08-30

南学とは、日本では土佐における朱子学をいう。
海南学派とも呼ばれる。
室町時代末期(天文年間)に儒者・南村梅軒が土佐で朱子学を講じたことを祖とする。
吸江庵の忍性、宗安寺の如渕、雪蹊寺の天質、吉良宣経などに伝えられ、更に天質に学んだ谷時中が江戸時代初期に南学の学風を固めた。
谷時中の門人に野中兼山・小倉三省・山崎闇斎らがいたが途絶。
山崎闇斎の門弟となり、闇斎の没後はその弟子浅見絅斎に師事した谷秦山が、南学を復興させた。
この南学は朱子学の単なる解釈学ではなく、義理名分と実践を重んじたものであり、土佐藩学の中心であった。
南村梅軒が講義した講堂跡と推測される高知県高知市の弘岡中薬師堂付近に、『南学発祥の地』の石碑が建つ。

【 参考・引用 】  南学 - Wikipedia


谷時中の墓 - 「土佐南学」中興の祖 2009-10-11
南学発祥の地 2009-10-10


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2 Comments

weller さんへ">

weller さんへ  

Re: タイトルなし

weller さんへ">

コメントありがとうございます。

2016/01/19 (Tue) 07:20 | weller さんへさん">REPLY |   

weller  

おお、こんなところにあったのですか!
以前私も生誕地を探していたんですが、結局わからずに諦めていました。今回ブログで紹介して頂き助かりました。今度行ってみます。
ここには昔、生誕地碑が建っていたそうですが、いつのまにか撤去されたそうです。残しておいてほしかったですね。

2016/01/18 (Mon) 23:02 | REPLY |   

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