岡村十兵衛墓と頌徳碑 - 鑑雄神社

岡村十兵衛墓(室戸市羽根町)
 
[ 高知県室戸市羽根町・鑑雄神社  ]


以前、御紹介しちょります室戸市羽根町の鑑雄神社の続きを、出し惜しみで再度補足を・・・・・

鑑雄神社 - 羽根浦の浦人達が恩人・岡村十兵衛を神として祀る 2015-10-28

岡村十兵衛が亡くなって浦人達が建てたのが写真のお墓ながです。

干時 貞享元年  俗名 岡村十兵衛  行年五十七歳
釋 林月宗挩信士  
子七月十九日
施主 檜垣金右衛(他6名) 久保与三○○


明治8年(1875)になって、時の高知県令(知事)じゃった岩崎長武(いわさき ながたけ)が、岡村十兵衛さんの墓の脇に建てて祀ったのが鑑雄神社ながです。

鑑雄神社の名の由来は字を見た通り、岡村十兵衛の行いを「英雄の鑑(鏡)」と称して、命名しちょるがです。

岡村十兵衛頌徳碑(室戸市羽根町)

また、傍にゃ自然石に漢詩が刻まれた頌徳碑があるがですが、これも明治8年(1875)に鑑雄神社が建てられた時の碑のようです。

頌徳碑

【表面の漢詩】
人間無他義兼仁
有司勲鑑在此人
旅客更暮報告志
美名長存子孫身
土民仰望神如在
路畔古墳払無塵
不受命勝於受命
忠魂赫赫又彬彬

【裏面】
碑文は読みにくくなっちょりますが、部分的には下記のようにあり。

・・・・・故国守山内養徳公東巡所一レ題按岡村十兵衛故羽根浦吏也貞享元年饑為請レ・・・・・養徳公当時事一以謂此詩公褒崇之典宣下表二諸石一以慰中神・・・・・明治八年十一月 奥宮正路撰文並書


碑文にある「国守山内養徳公」とは、土佐藩第13代藩主・山内豊熈(やまうち とよてる)の事です。

山内豊熈は、嘉永元年(1848)に参勤交代で江戸に出た直後の7月10日に34歳の若さで死去しちょり、戒名が「養徳院後鏡視倹」と言うがです。

如何やら、表面に刻まれた漢詩は山内豊熈が東郡巡視の際に墓前に詣で、岡村十兵衛の遺徳を讃えて詠んだもののようながです。

十兵衛の遺骸は羽根八幡宮の脇に葬られ、その後も村をあげての祭祀は絶えることなく、幕末には藩主山内豊熈の墓参もあった。
明治4年(1871)鑑雄神社となり、同7年には社殿が完成、現社殿は大正年間暴風雨に倒壊して再建されたものである。

【 参考・引用 】 
 『高知県の地名 日本歴史地名大系40』 平凡社刊より抜粋


また、撰文は奥宮正路とあります。

高知市平和町にある、勝海舟が題字を書いた「廣井磐之助碑」の碑文も奥宮正路(奥宮 禮)ながです。

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因みに岩崎長武(いわさき ながたけ)は生年は不詳で、土佐藩槍術指南役・岩崎長幸の二男として生まれ、分家となって馬廻りに列し諸役歴任しちょるようです。

1872年、浜松県権参事、同参事を務めた。
明治5年11月27日(1872年12月27日)、高知県権令に転任。
立志社の民権運動に寛容で、1875年6月の第1回地方官会議で、民会の公選制を主張した。
立志社系の人物を県庁に登用したことなどで、保守派の反発を受け1876年8月に権令を罷免された。
その後、民権運動家として活躍した。

【 参考・引用 】 
『土佐の墓』 山本泰三・著 (昭和62年)
岩崎長武 - Wikipedia




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