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葛木男神社 - 御祭神の葛木男と葛木咩って「織姫」と「彦星」に似たり

葛木男神社(高知市布師田)
 
[ 高知県高知市神田  ]


国分川の右岸、高知刑務所の南の山裾に、葛木男神社は鎮座しちょります。

ここも延喜式社・土佐之國二十一座の一社になる由緒ある神社ながです。

葛木男神社(高知市布師田)

ただ現在は、同じく延喜式社・土佐之國二十一座の一社になる「葛木咩神社」も、昭和47年(1972)から合祀されちょります。

葛木男神社(高知市布師田)

葛木男神社由緒

祭神
高皇産靈大神(たかみむすびのおおかみ)
葛木男大神 (かつらきおのおおかみ)
葛木咩大神(かつらきひめのおおかみ)

勧請年月日縁起沿革等は未詳であるが第六十代醍醐天皇延喜7年(皇紀1567)神祇官の延喜式神明帳に登録せられた延喜式内社で土佐国二十一座の一である
古来より布師田の総鎮守で中古高結大明神と称す
即(すなわち)葛城氏は高皇産靈神五世孫剣根命の後裔布師臣武内宿禰の男葛城襲津彦命を祖とする葛城氏族は布師としての仕事を営む傍ら生活の糧を得るため布師田の原始林を開拓し永住の地と定め太祖高皇産霊神を氏神として奉祀したものである
近世は布師田金山城主源重信も太祖神を斎き祭りしものである
布師田は布師の人の住む里なるが故に布師と号け昔より田地の多い処なるが故に布師田と唱え今の地名となりたりと伝えられる
延喜式内社葛城襲津彦命妃命を奉祀する葛木咩神社は昭和47年12月合祀しました

【 参考・引用 】  由緒の碑より


葛木男神社(高知市布師田)

高皇産靈大神

『古事記』では高御産巣日神(たかみむすびのかみ)、『日本書紀』では高皇産霊尊と書かれ、また葦原中津国平定・天孫降臨の際には高木神(たかぎのかみ)という名で登場する。

『古事記』によれば、天地開闢の時、最初にアメノミナカヌシが現れ、その次にカミムスビと共に高天原に出現したとされるのがタカミムスビという神である。

葛木男大神(葛城襲津彦命)
葛城襲津彦は、大和葛城地方(現・奈良県御所市一帯)の豪族の葛城氏祖とされる。

葛木咩大神(葛城襲津彦妃命)
葛城襲津彦命の妃

参考にした「葛木男神社 - Wikipedia」に興味深い記述があります。

土左の郡家の内に社あり。
神の名(みな)は天の河の命とせり。
その南なる道を下れば社あり。
神の名は浄川媛の命、天の河の神の女(むすめ)なり。
その天の河の神は土左の大神の子とせり。

『雅事問答』所引『土佐国風土記』逸文
奈良時代初期の和銅6年(713年)、第43代天皇・元明天皇が諸国に編纂を命じた官撰地誌の一つ。


として、土佐郡の郡家内には土左大神(土佐神社祭神)の御子神の天河命(あまのかわのみこと)を祀る社が、郡家南の道には天河命の娘神の浄川媛命(きよかわひめのみこと)を祀る社があると見える。
この天河命・浄川媛命は他文献に記載のない神々であるが、後述のように土佐郡家が葛木男神社の旧鎮座地付近に推測されることから、両神を葛木男神・葛木咩神に比定する説がある。
土佐郡家は、古くから存在した天河命の社を取り込む形で成立したと見られており、この一帯が土佐郡成立以前の豪族の都佐国造(土佐国造)の中心地であったと推測される。
この都佐国造は大和葛城地方の賀茂氏に連なる系譜といわれ、当社の社名「葛木」とも関連を有している。
しかし古くは葛木男神が土左大神の御子神であったとしても、現在の土佐神社と葛木男神社との間に祭祀関係は伝わっていない。


由緒にもある「葛城氏族は布師(布を織る人もしくは、布に関係のある仕事だと考えられる)・・・」ともあり、この「天の河の命」と「天の河の神の女」って、七夕伝説のおりひめ(織女)とひこぼし(牽牛)そのものように思わんかよ・・・・・。

物語

昔々、天の川のそばには天の神様が住んでいました。
天の神様には、一人の娘がいました。
名前を織姫と言いました。
織姫は機を織って、神様たちの着物を作る仕事をしていました。
織姫がやがて年頃になり、天の神様は娘に、御婿さんを邀えてやろうと思いました。
色々探して見つけたのが、天の川の岸で天の牛を飼っている、彦星という若者です。
彦星は、とても立派な若者でした。
織姫も、かがやくばかりに美しい娘です。
二人は相手を一目見ただけで、好きになりました。
二人は結婚して、楽しい生活を送るようになりました。
でも、仲が良過ぎるのも困りもので、二人は仕事を忘れて、遊んでばかりいるようになったのです。
すると、天の神様のもとへ、皆が文句を言いに来るようになりました。
「織姫が機織りをしないので、皆の着物が古くてボロボロです。
早く新しい着物を作って下さい」「彦星が世話をしないので、牛たちが病気になってしまいます」神様は、すっかり怒ってしまい「二人は天の川の、東と西に別れて暮らすがよい」と、言って、織姫と彦星を、別れ別れにしたのです。
でも天の神様は、織姫があまりにも悲しそうにしているのを見て、こう言いました。
「一年に一度だけ、七月七日の夜だけ、彦星と会ってもよろしい」 それから、一年に一度会える日だけを楽しみにして、織姫は毎日、一生懸命に機を織りました。
天の川の向こうの彦星も、天の牛を飼う仕事に精を出しました。
そして、待ちに待った七月七日の夜、織姫は天の川を渡って、彦星の所へ会いに行きます。

【 参考・引用 】  七夕 - Wikipedia:


それに「古くは葛木男神が土左大神の御子神であったとしても・・・・」とあるように、『土佐国風土記』には「天の河の命」が、土左大神(現・土佐神社=延喜式内社で土佐国二十一座の大社)の御祭神の子と書かれちゅうと言うのは、真実は判らんけんど興味深い御話ながです。

これも古代史の歴史ロマンの一つですき・・・・・。
葛木男神社(高知市布師田)

葛木男神社は、国分川の南の田園の下附部落の南に、葛木咩神社と同じところに鎮座しちょったそうですが、近世になって国分川の付替え工事により下附部落が二分された際に、葛木男神社だけ現在地に移転したそうです。

因みに、葛木咩神社が此処に合祀されたのは、昭47年12月の事じゃそうです。


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