鍋島米之助 - 天誅組に参加し鷲家口で彦根藩兵と激闘の末に討死

鍋島米之助墓

[ 高知県高知市城山町 ]


鍋島米之助は天保11年(1840)に潮江村(現・高知市)に生れ、同郷の同志・楠目盛馬と仲が良く進退を共にし、文久の始め脱藩し上方に出て、尊王攘夷のために国事に奔走しちょります。

文久3年(1863)8月、吉村虎太郎が大和五條で義兵を挙げるや、楠目盛馬、那須信吾、森下幾馬らと天誅組に参加ししちょります。

しかし天誅組の敗北は色濃く、各藩の追討軍の包囲網は容赦なく十津川にも押し寄せるようになり、隊長・中山忠光卿を脱出させるべく鷲家口の彦根藩に最後の決戦を挑むべく決死隊を募るがです。

鍋島米之助は、那須信吾や宍戸弥四郎らと共に決死隊に志願し、出店坂で奮戦するも敵弾を受け重傷を負うが、それでも奮闘しながら鷲家口まで逃れるも、辰巳屋友七の納屋に入り傷の手当をしているところを追っての彦根藩兵に包囲され、激闘の末に討死にしちょります。

享年24歳。

本墓は奈良県の東吉野の方にありますが、土佐にある墓には両親(鍋島幸吉夫妻)と一緒に眠っちょります。

鍋島米之助墓

【 参考・引用 】 
『土佐の墓』 山本泰三・著 (昭和62年) 
『高知県人名事典』 高知新聞社・刊


大和殉難烈士之碑 - 維新の礎・天誅組壊滅 2010-10-11


[ 注意! ]
■ 墓探しで山に入る場合 は、季節によっては、マムシ(ハミ)・ヤマダニ・ヤマヒル・イノシシ・ハチ等に気を付けて下さい。
■ 特に3~12月頃の暖かい時期に山や藪に入る場合、マムシ(ハミ)には御注意の事!
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