友綱貞太郎碑 - 力士引退後は年寄6代友綱として多くの力士を育成する

友綱貞太郎碑(相撲力士・初代海山太郎)

[ 高知県高知市大原町  ]


鏡川の右岸にある龍馬スタジアムの南側に、樹木に覆われちょりますが、友綱貞太郎碑と刻まれた”ざまーな”(大きな)石碑が建っちょります。

友綱貞太郎と言う名は明治24年(1891)年5月場所を最後に引退し年寄・6代友綱を襲名した後の名前で、現役時代の四股名は「海山貞吉」と言う力士じゃった人ながです。

板垣退助の肝入で当初は大阪相撲に在籍し最高位は関脇で、その後東京相撲に移り3たび前頭筆頭まで進んだものの三役昇進は果たせなかったそうです。

ただ、引退してから多くの幕内力士を送り出し角界の一大勢力を築き上げた功績が大きく、東京大角力協会(現・日本相撲協会)の取締に就き、両国国技館の建設に尽力するなどの功労があったと言う。

【 参考・引用 】  海山太郎 (友綱) - Wikipedia


友綱貞太郎碑(相撲力士・初代海山太郎)

友綱貞太郎の碑

友綱貞太郎(河野貞太郎)
四股名 海山太郎(初代)
安政元年高知県香我美町岸本で生誕
少年の頃から相撲が好きでまた大変強く、地下力士たちに鍛えられ、土佐の横綱的存在となって大阪相撲猪名川部屋に入り、明治八年の番付に初登場し、十六年には関脇まで昇進した。
明治十六年東京相撲の玉垣部屋に入門、十七年に入幕。
身長百七十三センチメートル、体重八十六キログラムの小兵力士であったが堅実な取り口で活躍し、前頭筆頭を最高位に幕内十六場所を努めた。
本県出身力士の幕内力士第一号である。
現役力士時代の明治二十三年五月から年寄・友綱との二枚鑑札で土俵を務め二十四年五月限りで引退した。
現役引退後は六代目友綱親方として弟子養成に尽力し、横綱太刀山(富山県出身)大関国見山、関脇二代目海山ら本県出身の幕内力士八人をはじめ、多くの名力士を育成し、親方として大きな足跡を残し、一代で友綱部屋を大部屋に築き上げた。
大正十年五月に角界を退くまで相撲協会の要職を務め、明治四十二年完成の両国国技館建設の中心的な役割を果たすなど、国技大相撲の発展に尽力した功績は大きく、昭和十七年旧門下生の有志により、これを建設した。
昭和元年十二月三十日没、享年七十二歳 
墓所は東京都杉並区法照寺と和歌山県高野町高野山墓地

【 参考・引用 】  説明板より


碑の題字は、土佐藩第16代(最後の)藩主・山内豊範の長男・山内豊景ながです。

五代目・二所ノ関軍右衛門寄進の鳥居 - 四所神社・熊野神社 2011-04-30


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