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会津若松西軍墓地 1 - 会津戦争で亡くなった土佐藩兵49名が眠る

西軍墓地(会津若松)

[ 福島県会津若松市大町  ]


会津若松の東明寺墓地に、戊辰戦争で戦った新政府軍の戦死者を埋葬した西軍墓地があるがです。

西軍墓地(会津若松)

西軍墓地(会津若松)

此処にゃ、薩摩・長州・土佐藩等の会津戦で亡くなった150名が眠ちょりますが、その内の約1/3の49名が土佐藩兵ながです。

西軍墓地(会津若松)

会津戦では、当然会津藩の人々にも多くの犠牲を出しちょりますが、此処に眠るのは元・土佐勤王党員達が中心になった土佐藩主力部隊・迅衝隊の犠牲者が殆どで、遠く故郷を離れた地に今でも会津の方々に依って綺麗に管理されて静かに眠っちょります。

西軍墓地(会津若松)

墓地は、正面右側に土佐藩の戦死者の墓石が建てられちょりますので、当ブログでは土佐藩の範囲のみ掲載いたします。

西軍墓地(会津若松)

西軍墓地(会津若松)

土佐藩墓所の正面にある灯籠。

爲孝英兄建之
福岡鋼三郎孝廣
明治元年戊辰中冬


此処にゃ、土佐藩胡蝶隊に参加しちょった土佐藩家老・福岡宮内孝成の次男・福岡友治郎も眠っちょり、この灯籠は、一緒に参戦しちょった、弟・福岡鋼三郎が建てたがじゃと思います。

福岡宮内 - 坂本龍馬の父・八平が龍馬の江戸修行を願い出る 2012-01-08

因みに福岡宮内は、『竜馬がゆく』司馬遼太郎・著にも出て来るがですが、小説ではフィクションじゃけんど「お田鶴」さんの兄と言う設定にもなっちょります。

西軍墓地(会津若松)

西軍墓地(会津若松)

また別の灯籠にゃ小嶋徳行とあるけんど、胡蝶隊に参加した土佐藩上士格の人物じゃと思いますが誰の事かは判り兼ねます・・・・・。

また、周辺の灯籠の台石にや、風化によってかなり文字が判別しにくいのですが、元・土佐勤王党の仲間たちが、一緒に戦って亡くなった同志や仲間を弔ったであろう証として、名を刻み残されちょります。

西軍墓地(会津若松)

大石元敬は、迅衝隊小軍監として従軍した大石弥太郎元敬、後の大石圓。

大石弥太郎生家跡 - 土佐勤王党に2番目に加盟 2011-06-16

秋澤貞之は、迅衝隊小軍監として従軍した秋澤清吉貞之。

秋澤貞之 - 土佐勤王党に87番目に加盟 2015-01-09

安岡亮とは、迅衝隊小監察に従軍した安岡亮太郎良亮の事じゃないかと思われます。

「薩土討幕の密約(薩土密約)」の締結にも参画し、戊辰戦争じゃ近藤勇を捕縛し谷干城らと処刑にあたった人物。

【 参考・引用 】  安岡良亮 - Wikipedia:


西軍墓地(会津若松)

岩崎継慊は、迅衝隊に従軍した岩崎彌太郎の親戚でもあり土佐勤王党にゃ38番目に加盟した、岩崎馬之助維慊。

樋口武は、土佐勤王党血盟同志じゃないけんど、西部の幡多地区の勤王党の中核じゃった人で、龍馬とも接点がある裁判役として従軍した樋口真吉の事。

近江屋跡 - 坂本龍馬・中岡慎太郎遭難之地 2010-08-23

西軍墓地(会津若松)

小笠原正実は、戊辰戦争じゃ本陣詰となり、若松戦の前の母成峠の戦いで負傷した小笠原保馬正実、のちの小笠原和平の事で、土佐勤王党にゃ8番目の血盟同志になっちょり、父の後妻は土佐勤王党首領・武市瑞山の長姉じゃき叔父・甥の関係にもなり、瑞山切腹の時に介錯をした一人。

濱口真澂は、後の名を濱口秋水とも言い、迅衝隊に従軍しちょりますが、武術の他に、下村三省に医も学んじょります。

西軍墓地(会津若松)

島村雅菫は、迅衝隊に従軍しちょり、土佐勤王党24番目に血盟加盟しちゅう島村寿太郎雅菫の事で、姉の富さんは武市瑞山の奥さんになる。

池知重胤は、迅衝隊に従軍しちょり、土佐勤王党178番目に血盟加盟しちゅう池知退蔵重胤の事。

西軍墓地(会津若松)

西軍墓地(会津若松)

もっと気を付けて確認したら、他にも同志たちの名前が刻まれちょるかもしれませんが・・・・。


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