山本喜三之進 - 土佐勤王党に156番目に加盟

山本喜三之進墓

[ 高知県香南市野市町 ]


山本喜三之進(やまもと きそのしん)は、天保8年(1837)に生れ、土佐勤王党にゃ156番目に加盟しちょります。

因みに弟・山本四郎は64番目の血盟同志、妹は文久2年(1862)那須信吾・安岡嘉助と土佐藩参政・吉田東洋暗殺の実行犯の一人・大石団蔵(高見弥市)の妻ながです。

土佐勤王党の獄で捕えられた武市瑞山らの釈放に向けての運動を行うも、文久2年(1862)の近江石部宿で起こった京都町奉行所与力暗殺事件の罪で本人も投獄され、慶応元年まで永牢処分を受けちょります。

その後は戊辰戦争の一つで、越後中・北部で行われた北越戦争に参加しちょります。

明治16年(1883)に47才で没。

【 参考・引用 】  『高知県人名事典』  高知新聞社・刊


山本喜三之進墓

史跡 山本喜三之進の邸跡及び墓

維新勤皇の志士。
名は重孝。
のち登と改める天保八年(1837)に生まれる。
文久元年(1861)土佐勤王党に加わり活躍、明治元年東征の役にも従軍する。
行年四十七才。

【 参考・引用 】  説明板より


山本喜三之進墓


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