賀田城址 - 最初、天文年間に井上又四郎が城を築く

賀田城址(いの町加田)

[ 高知県吾川郡いの町加田  ]


仁淀川の左岸にある加田の集落に、川に迫出すように連なる尾根があるがですが、その先端部の頂が賀田城があった場所ながです。

賀田城址(いの町加田)

急勾配の山道を上って行くと、頂上部が平坦に開けて一部墓地になっちょりますが、ここが主郭じゃった場所ながです。

賀田城址(いの町加田)

その一角に、城主井上神社が祀られちょります。

賀田城址(いの町加田)

賀田城址

城主井上又四郎天文ノ頃此地ニ城ヲ築く
常ニ和ヲ本トシ仁徳篤シ
弘治二年(一五五六)本山氏ノ侵攻ニ際シ戦禍ヲ憂ヒテ太平ニ道ヲ選ビ○ラ譲リテ下野
当地ニ永住ス・・・・・

【 参考・引用 】  碑文より抜粋


『土佐国古城略史 全』にゃ、下記のように記されちょります。

城主詳かならず、蓋本山氏の砦乎。
柳瀬渡曰、加田城主は井上又四郎なり、因て今城下の地を又四郎と字すと。
高岡郡大野見郷庄屋田上宅兵衛所蔵の古文書に、弘治二年五月廿七日本山茂辰、田上善衛門に加田城定番を命じ、番給₁壹町を興ふ。
後秦氏に仕へ土佐郡朝倉に居る。
其子六右衛門津野親忠に仕ふ。

【参考・引用】 『土佐国古城略史 全』 宮地森城 著


碑文と 『土佐国古城略史 全』 からすると、弘治2年(1556)、本山茂辰が土佐の山奥から平地に進出して来た時、加田城城主・井上又四郎は戦で領地や民に被害が及ぶのを憂いて本山氏に降伏し、田上善衛門が新しい城主(城番)になる。

その後、本山氏が長宗我部元親に敗れた後は、田上氏は長宗我部氏に仕え、その子供は長宗我部元親の三男・津野親忠に仕えたようです。


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4 Comments

芋上  

おいちゃんさん、返信ありがとうございます。
高知はどうしても土地柄、水害の被害などで史跡や資料が多く失われてしまった地域だと思いますから、歴史を辿るのも一苦労だと思います。
我が家でも高祖父母の代では製紙業を営んでいたそうですが、家財一切を大雨で流されてしまい高祖母は憂い病を患ってしまったと聞いています。
今では一族様々な地域で暮らしていますが、インターネットの世界で祖先の事を辿ってみるなかでこの様な記事があることはとても喜ばしい事です。
ありがとうございます。

2015/10/04 (Sun) 16:59 | REPLY |   
芋上 さんへ">

芋上 さんへ  

Re: 系譜

芋上 さんへ">

>古くから様々な氏族が群雄割拠した土佐の地で我が家のような没落した氏族は数多くあると思います。
このような歴史に埋もれてしまった史跡を現代辿っておられる・・・・・

生れて来た命に無駄な命はないと思います。
有名無名には関なく、それぞれが土佐の歴史を創って来たジグソーパズルのピースのような必然的に不可欠な存在で、此の世に生まれ土に帰って行っただけだと思います。

特に、お墓は其の人が此の世に存在したと言う証で記念碑のような物だと思っています。
「大そうな」と思われるかも知れませんが、調べ得る事が出来るような人物については、もう一度光を当ててあげればと訪ねまわっています。

先人達が、今日まで護り通して来た様々な土佐人の貴重な歴史の記憶ですからねー。
何よりも、地域の歴史は土佐の歴史そのもので、郷土愛は地元を知る事からじゃないでしょうか。

コメントありがとうございます。

2015/09/25 (Fri) 08:43 | 芋上 さんへさん">REPLY |   

芋上  

系譜

何度もコメントをしてしまい申し訳ありません。
おんちゃんさんが賀田城を訪れて下さった事が喜ばしくて仕方ありません笑
賀田の井上家に対しまして、私の祖先は神谷(こうのたに)井上家と称しておりました。神谷井上家は本山氏侵攻の後は小村神社にかくまってもらい、天正年間まで出自を明らかにする事が出来なかったと伝わっております。

祖父が亡くなる際に井上家の出自に関して色々と調べた事がありました。
井上家は江戸時代まで氏を井上、姓を藤原を名乗っておりました。源ではなくです。
井上氏と言えば源氏の諸流を通常思い浮かべるものですが。
私が拝見させていただきました系譜によりますと奈良時代まで(50代超えにも及びます)遡って書かれており、藤原北家の道元(兼親)という方まで列々と記載されておりました。

賀田城を築かれました又四郎氏は、あくまでも私の推測(本家にも資料らしき物が見当たりませんでした。もしかすると賀田の井上家の所縁の方の元にはあるかもしれません)ではありますが、地頭職などとして中央から仁淀川沿いの荘園へ派遣され応仁の乱の動乱に乗じて旗揚げをしたのではないか?と考えております。

祖先は弓の名手だったとも口伝ではありますが伝わっております。

先祖の墓参りに際しまして、賀田の井上城には何度か足を運んでおりますが、
現在でも一帯を綺麗に掃除されており、恐らく地元の縁者の方々が今でも訪れ綺麗にされているのだろうという印象をもっております。
度々失礼いたしました。
コメントの掲載につきましても深く感謝いたします。

2015/09/24 (Thu) 21:20 | REPLY |   

芋上  

おんちゃんさん心から感謝いたします

以前植木枝盛旧邸の記事でコメントをさせて頂きました芋上です。
賀田城跡及び城主井上神社へのご足労、心より感謝いたします。
賀田の井上氏は本山氏の侵攻の際に城を明け渡した為、一族の中には罪を許されたものも多く、落ち延びた一族の者は野に降り、庄屋や神職に付き、本山氏が長宗我部氏によって攻められた後は一部が武家として再興を果たしたと伝えられております。
我が家に伝わります文書(恐らく江戸末期から、明治年間に書かれた物)によりますと、我が家の祖先は袂を賀田の井上を祖とし、本山氏の侵攻の後に小村神社へ降り神職についたとされております。
その後ほとぼりが冷め氏族に回帰し一族の中には天正年間の九州攻めに長宗我部氏と共に参戦し戦死した者ありとの記載がありました。
古くから様々な氏族が群雄割拠した土佐の地で我が家のような没落した氏族は数多くあると思います。
このような歴史に埋もれてしまった史跡を現代辿っておられるおんちゃんさんを心から応援しておりますし、読み物として楽しみにしています。
今後もご活躍の程お祈りいたします。
ありがとうございました。

2015/09/24 (Thu) 10:53 | REPLY |   

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