安岡嘉助 - 吉田東洋暗殺後脱藩し天誅組の挙兵に参加する

安岡嘉助墓

[ 高知県香南市香我美町山北 ]


安岡嘉助は、香美郡山北村の郷士・安岡正理(文助)の二男として生まれ、土佐勤王党に参加しちょりますが血盟名簿には名は残っちゃーしません。

文久2年(1862)那須信吾・大石団蔵らと吉田東洋を暗殺して、その足で土佐を脱藩し、長州へ逃れ、その後京に上り、長州の久坂玄瑞や薩摩藩の庇護を受け、文久3年(1863)天誅組の挙兵に参加するけんど戦闘で負傷して捕えられ、京都の六角獄舎で処刑されちょります。

安岡嘉助墓

嘉助の辞世の句が刻まれちょります。

再度(ふたたび)と 来るべき世ならぬ 我身をも 捨てるは君の 御為なりけり


安岡嘉助墓

文久四年甲子二月十三日
於西京忠死 年二十九


山北両烈士の碑 - 安岡覚之助、嘉助兄弟 2008-12-26
大和殉難烈士之碑 - 維新の礎・天誅組壊滅 2010-10-11


[ 注意! ]
■ 墓探しで山に入る場合 は、季節によっては、マムシ(ハミ)・ヤマダニ・ヤマヒル・イノシシ・ハチ等に気を付けて下さい。
■ 特に3~12月頃の暖かい時期に山や藪に入る場合、マムシ(ハ
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