寳永津浪溺死之塚 - 碑文は古屋竹原、願主は発生寺住職・智隆和尚

寳永津浪溺死之塚碑.(須崎市)

[ 高知県須崎市糺町  ]


以前にも御紹介しちょりますが、安政3年(1856)に、寳永(宝永)4年(1707)に起こった大地震の津波によって亡くなった400名あまりの人の150回忌の回葬をした際に建てられた「寶永津浪溺死之塚」ながです。

寳永津浪溺死の塚 2010-03-15

150回忌の法要を行ったがは発生寺の住職・智隆和尚で、碑文を書いたがは儒医・画家じゃった古屋竹原(尉助)と言う人ながです。

寳永津浪溺死之塚碑.(須崎市)

発生寺� (浄土宗)高知県須崎市:

発生寺の智隆和尚とは、土佐勤王党に104番目に血盟加盟し観音寺智隆として国事に奔走した和尚さんで、発生寺も近隣の勤王家の会合場所でもあったき、坂本龍馬も訪れたと言う尊王攘夷運動にも関わりのある由緒あるお寺さんでもあるがです。

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寳永津浪溺死之塚碑.(須崎市)

「寶永津浪溺死之塚」

【 左側面 】

此塚ハ昔寶永四年丁亥十月四日大地震して津浪起り須崎の地にて四百餘人溺死し池の面に流れ寄り筏を組か如くなるを池の南地に長き坑をニ行に掘り死骸を集め埋め在しを今度百五十年忌の弔に此處に改葬するもの也其事を営まんとする折しも安政元年甲寅十月五日又大ゆりして海溢しけるか昔の事を傅聞且記録もあれハ人思ひ當りて我先にと山林に迯登りけれハ昔の如く人の損しハ無りし也惟其中に舩に乗り沖に出んとして逆巻浪に覆され三十餘人死たり痛ましき事也

【 裏面 】

何なれは衆に洩て斯ハせしそと云に昔語の中に山に登り落くる石にうたれ死し沖に出たる者恙なく帰りしと云事の有を聞誤認しもの也早く出て沖にあるハしらす其時に当りて船出することハ難かるへし誡むへき事にこそ将昔の人ハ地震すれハ迚津波の入る事を弁へず浪の高く入來るを見るよりして迯出たれハおくれてかたの如き難に逢り哀にも又悲まさらんや地震すれハ津波は起るものと思ひて油断ハすましき事なりされとゆり出すや否浪の入るにも非す少の間ハあるもの

【 右側面 】

なれハゆりの様を見斗らひ食物衣類等の用意して扨石の落さる高處を撰ひて遁るへしさり迚高山の頂迄登るにも及ハす今度の浪も古市神母の邊ハ屋敷の内へも入らす昔も伊勢か松にて敉人助かりしといへハ津浪とてさのみ高きものにも非す是等百五十年以來二度迄の例しなれハ考にも成へきなり今茲此営を成すの印旦後世若斯る折に逢ん人の心得にもなれかしと衆議して石を立其事をしるさんことを余に請ふ因て其荒増を挙て為に書付る者也 安政三年丙辰十月四日古屋尉助識

附本願主:発生寺住職智房松園
世話人:亀屋久蔵・鍛冶活助・橋本屋吉左衛門

(碑文より)


この塚は宝永4年丁亥10月4日大地震で大津波が起こって須崎で400人余りの人が溺死した。
池(糺池)に流れ着いた死体は、まるで筏を組んだような有様じゃった。
(当時)池の南に二列の坑を掘って遺体を埋葬した。
今度、150年忌の弔をし改葬しようとしていたら、折しも安政元年甲寅十月五日に大きな地震(安政の大地震)の揺れが起こってまた津波に襲われたけんど、昔の事を伝え聞いちょったり記録を見たりしちょった人が居っようで、皆ー我先にと山に逃げ登ったき、昔のような人的被害はすくなかった。
けんど船に乗って沖に出ようとした人がおって、逆巻浪に巻き込まれて三十人程亡くなったのは残念じゃった。
これは昔話の中で、山に登った多くの人が落石で命を落としたけんど、船で沖に出た者は助かったと聞き間違えちょったからじゃと思う。
大津波に向って船を出すのは無理な話じゃし、津波が押し寄せて来るのを見てから逃げるようじゃ、まず助かるハズはない。
地震が起こったら、必ず津波が押し寄せて来るもんじゃと思ちょかんと遺憾。
地震の揺れを見計らって食物衣類を用意して、落石のないような高い所に逃げるように。
ただ今度の(安政の大地震)津波はそう高い津波じゃなかったき古市町の屋敷辺りまでは浸からんかったけんど、150年以来2度も(地震による)津波に襲われちゅうき、普段から油断せず慌てんように心がけちょかんと遺憾ぜよ。
後世に、またこのような津波にあった場合の心得として、石(石碑)を立てる。
安政3年丙辰十月四日 古屋尉助

と言うような意味の文章で、古屋竹原(ふるや ちくげん)の碑文の書体は、”こじゃんと”達筆の筆跡です。


そうそう、脅かす訳じゃないけんど、寳永津浪を起こした大地震の49日後にゃ、富士山が宝永の大噴火と言われる大規模な噴火を起こし、この時の降灰は江戸市中まで及んじょります。

現在、日本列島至る所で火山活動が活発化しちょり、場所は違うにしても富士火山帯の箱根でも小噴火や地殻の異常が続いちょりますし、南海トラフの大地震の危機もささやかれちょります。

常日頃から災害に気を付け、先人たちの教えの教訓を忘れんようにせんと遺憾がです・・・・・。


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2 Comments

オンチャン(とさっぽ)">

オンチャン(とさっぽ)  

Re: kanageohis1964 さんへ

オンチャン(とさっぽ)">

コメントありがとうございます。

> 内閣府のまとめた「1707 宝永地震報告書」のPDFを改めて見返しました。津波の推定到達高が10mを超えている地点が須崎市はじめ各地に多数見えますね。

それだけ宝永地震は、地震の規模が大きかったんでしょうね。
それに、土佐湾の海岸線が弓なりに湾曲している関係から、土佐沖に押し寄せた津波が室戸や足摺の方から中央部に集積され、波高が増したのではないかと思います。



2015/07/29 (Wed) 13:39 | オンチャン(とさっぽ)さん">REPLY |   

kanageohis1964  

こんにちは。

碑文が長いもので1面では収まり切らなくて、3面目一杯使っているんですね。あと1面は法要の銘を刻んだりするのに必要でしょうから、使える面を全部使ってやっと収めたというところでしょうか。それだけ書き記しておきたいことが多かったということでしょうね。

内閣府のまとめた「1707 宝永地震報告書」のPDFを改めて見返しました。津波の推定到達高が10mを超えている地点が須崎市はじめ各地に多数見えますね。

2015/07/28 (Tue) 19:58 | REPLY |   

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