前身は小間物商「橘屋」 - 純真が、お馬さんに「かんざし」を買った店

国吉酒店(高知市)

[ 高知県高知市はりまや町1丁目 ]


長宗我部家臣団の中に、国吉甚左衛門親綱と、その子(二男)国吉五左衛門幸親の名がある。

この国吉家は、長宗我部氏と同じ秦氏の出で、始めは上村姓を名乗って現・香南市香我美町の国吉城(王子城)を居城とした武将で、12代目の国吉甚左衛門親綱が国吉姓に改め長宗我部国親に仕え、元親が四国平定をした際、讃岐・長尾城を守ったようですが、天正13年の羽柴秀吉の四国征伐後に、土佐に戻んちょります。

またその子、国吉五左衛門幸親は、関ヶ原の戦いで長宗我部盛親が味方した西軍が敗れた後、一時期下総・堀田氏に500石で仕えるけんど、慶長19年(1614)大阪冬の陣が始まると大坂城に駆けつけ元主君・長宗我部盛親と共に戦うがですが、慶長20年(1615)大阪夏の陣で豊臣方の敗北すると、土佐に戻んて来たそうです。

この子孫で国吉甚左衛門親綱から8代目の伝兵衛が赤岡(現・香南市赤岡)で、麹の製造や回漕業を営み成功し、名字帯刀をも許されるよになったがです。

そして写真の国吉酒店の前身になる小間物商「橘屋」を、天明8年(1788)高知城下に出したのが、伝兵衛の子・伝右衛門じゃそうです。

出店当初は、はりまや橋東側南詰じゃったそうですき、現在地よりもう少し南側じゃったようです。

国吉酒店(高知市)

幕末期の安政の始めじゃと思いますが、この店で一人の僧が「かんざし」を買うた事で、「坊さんが、かんざしを買うた」と噂になったがです。

それが、「よさこい節」に唄われるようにもなった、五台山竹林寺の僧・純真じゃったがです。

国吉酒店(高知市)

明治維新の頃、「橘屋」は赤岡の本店を廃し、城下の出店で節句人形や玩具の販売を生業としよったそうじゃけんど、大空襲の戦火の跡地で新たに酒店として始めたのが、現在の「国吉酒店」じゃそうです。

【 出典・引用 】
『追跡!純信お馬~駆け落ち百五十年~』 岩崎義郎・著 (高知新聞社)
『土佐名家系譜』 寺石正路・著 (高知県教育会)


「はりまや橋」だけ見たらガッカリ名所じゃ何ぞと言う人もおるろーけんど、周辺に所縁の関連場所はありますぜよ・・・・・。


MapFan地図へ
関連記事

  



0 Comments

Leave a comment