スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

  



山本鐵助 - 堺事件・七番目に切腹

山本鐵助墓

[ 高知県高知市山ノ端 ]


山本鐵助(やまもと てつすけ)は天保12年(1841)に土佐郡小高坂村(現・高知市)に生れちょります。

慶應4年(1868)2月に和泉国堺町内で起こった土佐藩士によるフランス水兵殺傷事件(泉州堺事件)の責めを負って、七番目に切腹しちょります。

28歳

【 辞世 】  

塵ひぢの よしかかるとも 武夫(ますらお)の そこの心は くむ人ぞくむ


この泉州堺事件の土佐十一烈士と言えば最初に切腹した箕浦猪之吉が多く取り上げられる事が多いけんど、他の隊士達も忘れちゃ遺憾ねー・・・・・。

隊士達の亡骸は、土佐十一烈士之墓として堺市の宝珠院境内に祀られちょりますが、故郷・土佐の家族の元でも眠っちょります。

大阪では事件についての流行歌「今度泉州沖で、土佐の攘夷が、大あたり、よか、敵は仏蘭西、よっ程 ゑじゃないか、よふか、よか、よか、よか、」・「妙国寺、妙国寺、土佐のおさむらい腹を切る。唐人見物、ビックリシャックリと、おおさビックリシャックリと。」などが歌われた。

はじめ11人の墓は妙国寺に置かれる予定であったが、勅願寺に切腹した者を葬るのは不都合という伊達宗城の意見が通り、同じ堺市内の宝珠院に置かれた。
その11人の墓標には多くの市民が詰めかけ「ご残念様」と参詣し、生き残った九人には「ご命運様」として死体を入れるはずであった大甕に入って幸運にあやかる者が絶えなかった。

【 参考・引用 】  堺事件 - Wikipedia:     


堺事件は、日本史の一コマで土佐の歴史の1ページの出来事じゃけんど、 明治維新時の西洋列強に侍魂を見せつけ大いに恐れさせた事件でもある・・・・・・


[ 注意! ]
■ 墓探しで山に入る場合 は、季節によっては、マムシ(ハミ)・ヤマダニ・ヤマヒル・イノシシ・ハチ等に気を付けて下さい。
■ 特に3~12月頃の暖かい時期に山や藪に入る場合、マムシ(ハミ)には御注意の事!
関連記事

  



- 0 Comments

Leave a comment

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。