松ヶ瀬古戦場 - 津野軍・中平元忠と一條氏の安並・出間軍の激戦地

松ヶ瀬古戦場附近(須崎)

[ 高知県須崎市吾桑  ]


永正14年(1517)西は津野山から東は須崎、野見浦のあたりまでを支配下においちょった津野刑部少将元実は、戸波射場城を守る土佐一條氏の家臣・福井玄蕃を攻めるがですが、福井玄蕃は久礼城主の佐竹掃部頭に応援を求め、更に佐竹氏は土佐一條氏の援軍を請うがです。

津野軍は、敵軍が一條氏の援軍を得た事に慌て戸波射場城の西北の恵良沼に敗退するが、一條軍と大平軍の挟撃を受けて大敗するがです。

この「戸波恵良沼の戦い」となった恵良沼は「底無し沼」じゃったそうで、追い詰められた津野軍は沼に沈み、元実も奮戦したけんど36歳で討ち死にしちょります。

津野刑部少将元実を討った、安並城主・安並弥三と出間城主・出間九郎兵衛らは、勢いで津野領の本拠地を襲わんと企てるがですが、向え討ったのは岡本城(現・須崎市)にいた津野氏の重臣・中平兵庫助元忠じゃったがです。

中平兵庫助元忠 - 土佐七守護・津野氏の分家で土佐・中平氏の始祖 2014-11-17

津野刑部少将元実を討ち、残った津野軍は大した事はないだろうと見縊った安並弥三と出間九郎兵衛軍は容易に侵略出来るだろうと名護屋坂を下りて来るがですが、今度は逆に中平兵庫助元忠率いる津野軍に全滅させられるがです。

その時の激戦になったのが、「松ヶ瀬古戦場」と呼ばれる場所で、JR土讃線の桜川鉄橋の周辺じゃったそうです。

写真は、須崎から高知方面へのJR土讃線の車両から桜川鉄橋の上辺りを通過する際に撮影した北側の風景じゃけんど、この周辺で両軍の戦闘が行われたものと思われます。

この戦いに勝利した津野軍は勢いを盛り返し、天文15年(1546)に至たるまで、一条氏の進出を阻止し近隣諸勢力の侵攻をも許さんかったがです。


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