森脇唯次郎 - 土佐勤王党に33番目に加盟

森脇唯次郎墓

[ 高知県高知市筆山 ]


森脇直樹は嘉永3年(1850)に森脇直道の二男として生まれ、森脇唯二郎(唯次郎)は別名で、土佐勤王党に33番目に血盟しちょります。

立志社創立発起人。

明治10年(1877)愛国社再興取調委員、翌年の愛国社再興大会に参、引き続き大阪に駐在して愛国社の事務を担当した。

明治12年(1879)愛国社第三回大会の決定を受け国会開設運動拡張のため、九州を遊説。

明治13年(1880)から発行された愛国社機関紙「愛国志林」の編集・庶務に携わった。

同年国会期成同盟結成大会に参加、「国会を開設する弁可を上願する書」には稲荷新地、広岡町、小高坂村200名の総代として名を連ねた。

さらに自由党結成同盟約にも参画。

明治14年(1881)高知に帰り立志社遊説員(乙組)、修立社社長、立志社憲法草稿審査委員を務め、翌年には海南自由党創立委員に選出された。

その後、活動の場を再び県外に移し、自由党常議員、大阪セメント会社社長に就任した。

明治22年(1889年)7月29日、大阪で病没。

40歳。

【 参考・引用 】   『高知県人名事典』 高知新聞社 (平成11年) 


立志社跡 - 自由民権運動 2009-03-20
修立社跡 - 自由民権運動の中心・立志社の下部組織の一つ 2011-05-07
海南自由党結成集会の地 - 板垣退助率いる自由党の高知支部 2010-10-09

森脇唯次郎墓

実は、10日程前に”名無し”さんからタイトルはなく「社長は森脇直樹じゃが」と言うコメントが寄せられちょりました。

多分、「修立社跡 - 自由民権運動の中心・立志社の下部組織の一つ 2011-05-07」の記事を御覧戴いた際、当方が森脇直樹(森脇唯次郎)が修立社の社長じゃった事を記述していなかったものですき、知らない事だろうと思われて、コメントで御指摘戴いたものと思われます。

確かに記事を書いた当時は知りませんでしたが、後日『高知県人名事典』で知り、そのうち掲載をと思いながら何時しか時間が経っちょりましたが、”名無し”さんからのコメントへの御指摘が良い機会になり、本日掲載いたしました。


”名無し”さんへ

改めてまして、コメントでの御指摘ありがとうございました。


[ 注意! ]
■ 墓探しで山に入る場合 は、季節によっては、マムシ(ハミ)・ヤマダニ・ヤマヒル・イノシシ・ハチ等に気を付けて下さい。
■ 特に3~12月頃の暖かい時期に山や藪に入る場合、マムシ(ハミ)には御注意の事!
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