安田八幡宮 - 玉垣は国登録有形文化財

安田八幡宮(安田町)

[ 高知県安芸郡安田町安田 ]


安田八幡宮は安田町役場の道路を挟んだ西側にあり、『南路志』に「正八幡宮」と記されちょるのが、此処ながです。

参道の玉垣は平成19年に国登録有形文化財に指定されちょります。

高知県
江戸/1830-1867
石造、延長19m
1基
高知県安芸郡安田町大字安田2170
登録年月日:20071205
安田八幡宮
登録有形文化財(建造物)



神社参道の両脇に設けられた石造玉垣。
間口4.6m、長さ16m、高さ0.6mで、親柱を9間に立て、各間小柱5本で笠石を受ける。
上手の石段部分は長さ3.0mで、両端に親柱、中間に中柱を置き、小石柱5本で笠石を受ける。
参道景観を整える施設である。

【 参考 ・引用 】    安田八幡宮玉垣 文化遺産オンライン:


安田八幡宮(安田町)

安田八幡宮  国登録有形文化財

○玉垣 藩政期築:石造

創建は安田領主安田三河守と伝えられ、鎌倉時代に安田に移住した、惟宗氏が安田を領有し、安田の地名から安田氏を名乗り、領地の鎮守として安田八幡宮を造営しました。
八幡宮は安田家代々の鎮守として特に信仰が厚く、度々神殿の新築や改築を行い、社領を寄進しました。
足伴津彦命、気長足姫命、応神天皇を祭神としていて、昔から安田・西島・唐浜・東島・中山・馬路の総鎮守として崇敬されてきました。
参道の玉垣を構成する石柱には八幡宮に信仰を寄せる寄進者の名や、天明(1815)年、天保(1843)年、嘉永元(1848)年などの寄進年月、山形屋、久保屋、松屋、加茂屋、福枡屋、北方屋、浦吉屋などの屋号の彫られたt石柱が並んで、廻船や林業がもたらせた安田の繁栄ぶりが偲ばれます。

【 参考 ・引用 】    参道入り口の説明板より


安田八幡宮(安田町)

御祭神三柱「足伴津彦命」、「気長足姫命」、「応神天皇」。

因みに、「応神天皇」は実在した天皇だとされちょります第15代天皇の事。

「気長足姫命」は、『日本書紀』に記されちゅう「神功皇后」の事で、「仲哀天皇」」の皇后であり、「応神天皇」の母。

最初の「足伴津彦命」とは「足仲彦天皇」の事で、『古事記』や『日本書紀』に記されちゅう第14代天皇仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)の事ながですき、此処には親子(父神・母神・子神)が祀られちょります。

何でも御神体は三つの厨子に納められ、社記には古来より開かずとあるとか・・・・・。

安田八幡宮(安田町)

安田八幡宮 (旧郷社)

県指定文化財 大般若経所蔵
弥生式土器 出土地

安田八幡宮は、太古より安田川流域の総鎮守として敬われ、足伴津彦命、神功皇后、応神天皇を祭神している。
創建は明らかではないが領土惟宗(これむね)朝臣安田三河守と伝えられ、古記により文永10年(1273年)以前と推定される。
神宝の大般若経は、神亀4年(727年)当時の、名もなく貧しい一般民衆財物を出しあって、安田庄内の智識(信仰集団)により、600巻が経写された。
この大般若経は、天地異変、流行病の退散祈願、五穀豊穣、あるいは出陣のとき戦争を祈る等、大きな行事のとき社殿に籠って、僧侶が何日もかかって600巻を称えたものである。
永正10年(1513年)時の領主安田三河守親信から当社に奉納されたもので、昭和45年(1970年)高知県文化財に指定された。(現存541巻)
弥生式土器(つぼ)は、昭和7年(1932年)当社境内地より出土。
古代より、この地に人の生活の営みがあったことを立証する貴重財である。

【 参考 ・引用 】    参道玉垣の傍にある説明板より




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