田中光顕 - 潮江天満宮の玉垣にも名が残る

潮江天満宮玉垣・田中光顕

[  高知県高知市天神町・潮江天満宮  ]



潮江天満宮の玉垣の中に、土佐勤王党血盟同志で、中岡慎太郎亡き後は陸援隊副隊長として同隊を率い、維新後は宮内大臣も務めた田中光顕の名もありますぜよ。

明治時代に奉献した玉垣でして、御紹介すみですけんど同じ土佐勤王党の同志・那須盛馬(片岡利和)や、自由民権家の北川貞彦や弘瀬重正など。

また別記事で改めて御紹介する予定はないけんど、下記のような名もある。

豊臣秀吉の文禄・慶長の役(朝鮮出兵)の際、長宗我部元親が土佐に連れ帰って来た朝鮮慶尚道秋月城主・朴好仁と一族で、山内一豊が城下町を造った際に、現・唐人町に住まいを移し豆腐を造りの特権を与え、その後「秋月」姓に変えちょりますが、「唐人町 秋月・・」という玉垣は、多分、この一族の子孫ではないかと思われます。

他にも、現・香南市赤岡出身で珊瑚と真珠の販路を海外にも拡げ、真珠王といわれた「井上作次郎」の名もあるがです。

探せば、近代土佐に名を残した人の名が残っちょりますき。

北川貞彦と弘瀬重正 - 玉垣に残る二人の自由民権運動家 2015-03-13
那須盛馬 - 土佐勤王党に141番目に加盟 2012-11-26


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1 Comments

ヌコヲヤヂ  

土佐勤王党の生き残りでは最も出世した人のひとりですね。東京文京区にある自宅は6千坪もあり、空襲の難を逃れて現存で、現在は講談社が所有し非公開ですが、ロケとかに使用しているそうですね。桂浜の龍馬像の除幕式の際に高齢ながらも参加して祝辞を涙ながらに読み上げたというエピソードを読んだことがあります。

2015/04/20 (Mon) 20:20 | EDIT | REPLY |   

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