妙国寺梵鐘 - 梵鐘は保護有形文化財で、寺は細川氏の菩提寺が前身

妙国寺

[ 高知県高知市塩屋崎町・妙国寺  ]


高知市の筆山の東麓、土佐道路・筆山トンネル入り口のある交差点の北側に妙国寺と言うお寺があるがです。

妙国寺

此処にある、梵鐘が今回の記事ながです。

妙国寺

妙国寺

高知県保護有形文化財 妙国寺梵鐘

以下は、高知市のホームページの方に詳しゅう記されちょりますき、そちらを引用させてもらいます。

鋳銅製にして総高1m、笠形は重ね餅形に盛り上り、その上に龍頭がつく。
龍頭の高さ18.3cm、笠形の高さ4.8cmである。
身の高さ77.5cmで、胴の張りは少ない。
上帯・下帯ともに無文で、乳[にゅう(ち)]は4段4例、乳の形はラッパに偏平な半球状の頭部をつけた形状をなす。
撞座[つぎざ]は8葉蓮弁で、その径7cm、そして龍頭の長軸線上に位置する。
駒の爪はやや張り出し、縁の厚さ6cmであり、口径は57.4cmである。
各区に銘文がある。
ただ各区の銘文は、それぞれ刻した年代を異にし、追刻に重ねて追刻をしている。
時代順にそれらの銘文をみてみると、鎌倉後期の1299(正安元)年に東楽寺の梵鐘として鋳造され、鍛治大工は河内の大春日重守であったこと、室町時代の1490(延徳2)年に丹後三重の長寿寺に移ったことが、また、室町末期以後と推定されるが、京都の頂妙寺へ移動し、そして1678(延宝6)年に日純が頂妙寺からもらい受けて高知妙国寺へ移ったことが分かる。
1868(明治元)年になされた追刻にはその年の閏4月の廃仏毀釈の布告によって取り除かれようとした本梵鐘を、妙国寺の住職日住の努力で難をのがれるに至った経緯が記されている。

【 参考・引用 】  
文化財情報 有形文化財 工芸品 梵鐘 - 高知市公式ホームページ:


妙国寺

ところで上の境内にある説明板の中に「土佐国桂昌寺(妙国寺の前身)」と記されちょりますが、これは以前御紹介した、南国市にある細勝寺の事ながです。

細川頼益 - 細川氏一族遠州家四代目当主にして土佐守護代家始祖 2015-03-16

文亀元年(1501)細川勝益が京都頂妙寺の開山妙国院日祝を迎え、曾祖父・細川頼益追福の為に創建し、細川氏の菩提寺としたがが始まりじゃけんど、細川氏が土佐を離れてからは長宗我部元親により88石の寺領を得ちょったそうです。

天正19年(1591)に長宗我部元親が浦戸城に居を移すと、桂昌寺は浦戸の対岸・種崎に移り、山内氏の時代になり高知城下の建設が始まると慶長6年(1601)に国澤将監の領地じゃった国澤城の跡地に移り、その後、筆山北麓の要法寺の南に移ったようです。

貞享4年(1687)に火災で延焼したのを機に、翌貞享5年(1688)に現在の地に移り寺を再建するも享保11年(1726)に再び火災にあい、再度再建された際に妙国寺と改称しちょるようです。

出典は『南路誌』

【 参考・引用 】  『日本歴史地名大系40 高知県の地名』 平凡社(1983)


国澤城跡 - 城主・国澤将監は元は本山氏の配下の将 2014-07-21
要法寺 - 山内一豊が長浜城主となった時、菩提寺に 2010-10-08

土佐守護・細川氏、長宗我部氏、山内氏と、時代と共に場所は移り変わっちょりますが、歴史ある寺院ながです。


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