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渡辺一寸 - 手裏剣の名手で、山内容堂の護衛を務める

渡辺一寸墓

[ 高知県高知市宇津野 ]


高知市の久万川に流れ込む名切川と言う川幅のこんまい(小さい)川があるがですが、その上流に一ノ谷渓谷遊歩道と言う所があり、その谷川沿いを上って行った左手の山の斜面の上の方に、このお墓はあるがです。

目印に、下記の看板があります。

渡辺一寸墓

この人は、 天保6年(1835)に土佐郡久万村(現・高知市)の組外足軽・喜之丞の二男に生れ、名を松枝、後の名を一寸、通称・松之丞と言い、坂本龍馬と同い年になるがです。

砲術を野村氏に学び新規足軽(別家取立)となり、秦泉寺に一家を構えちょります。

その後、江戸詰めになっちょった時に、流派は判らんけんど手裏剣を修業し名手と称されるようになり、その技によって山内容堂の護衛を務めるようになったようです。


・・・・・松之丞其技に練熟し百発百中少しも誤らず、或は三間の距離を隔てて一文銭を吊り其穴を撃つに一度も誤らず、一間の厚板も三本の手裏剣を以て見事に打割ることを得しといふ。・・・・・

【 参考・引用 】  『續土佐偉人傳』 寺石正路・著 (大正12年)


それに、「鳥獣の類にては一度狙へば其命中誤るなく」とも書かれちょり、狙った標的は百発百中の凄腕じゃったそうです。

慶応元年(1865)5月にゃ、藩命で西国探索方として長州に赴き、その時の功で渡辺を名乗る事を許されちょります。

子供の名前の読みは「ゆきお」じゃけんど「五分(ごぶ)」とも読むき、今じゃったら絶対にイジメの対象になったろーねー・・・・・。

明治21年(1888)、54歳で亡くなっちょります。

【 参考・引用 】  『高知県人名事典』 高知新聞社 (平成11年) 


因みに、先に「砲術を野村氏について学んだ」と書いたけんど、この野村氏とは坂本龍馬と一緒に海援隊に加わった野村維章(辰太郎)の父になる野村亀四郎に師事しちょったがやと思われます。

野村維章生誕地 - 数少ない海援隊士の生き残り 2009-12-27

野村家は代々砲術を得意とする家柄で、野村維章(辰太郎)も万延元年(1860)に父・亀四郎に従い江戸に出て、江川英敏に入門して新式砲術を学び、文久2年(1862)に土佐藩砲術教授役となっちょります。


[ 注意! ]
■ 墓探しで山に入る場合 は、季節によっては、マムシ(ハミ)・ヤマダニ・ヤマヒル・イノシシ・ハチ等に気を付けて下さい。
■ 特に3~12月頃の暖かい時期に山や藪に入る場合、マムシ(ハミ)には御注意の事!
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