岡村十兵衛 - 独断で藩米蔵を開き飢饉から村人を救い責めを負い自刃

岡村十兵衛墓

[ 高知県高知市布師田 ]


昼なお暗き周囲を鬱蒼とした竹林に覆われた一角に、岡村十兵衛の墓がある。

この布師田地区じゃ、土佐の藩政時代に二人の義人を輩出しちょります。

その人物とは、一木権兵衛さんと、この岡村十兵衛さんながです。

一木権兵衛 - 難工事・室津港開鑿を成し人柱として海神に身を捧げる 2014-09-01

岡村十兵衛さんは寛永5年(1628)、一木権兵衛さんは元和3年(1617)と、11歳違いですけんど、多分お互いに顔見知りの親しい仲じゃったろーと思われるがです。

岡村十兵衛さんは通称で、名は岡村輔之(おかむら すけゆき)と言うがです。

土佐一条氏家臣の末裔で、山内一豊の土佐入国後に山内氏に仕えて土佐郡布師田村(現・高知市)に所領が与えられた一族の出身じゃそうながです。

下級武士として理財に秀でた人じゃったそうで、藩の材木方下役の時、材木の伐採・搬出事業で利益を上げた事から、天和元年(1681)に安芸郡羽根浦(現・室戸市)の羽根分の浦役人に任じられるがですが、延宝(1673-1681)年中の当時の羽根浦周辺は、凶作・不漁・洪水などが続き、浦人達は難義しよったと。

見かねた岡村十兵衛さんは、藩に願い出て、藩の蔵米を安く売り出す事で一時の急場を救ったそうですが、借りた蔵米の支払いの為に、今度は藩に願って官林の材木や薪を上方方面に売って利益を得、浦人を救ったそうながです。

しかしその後の貞享元年(1684)にも大飢饉となり、餓死者が出るまでの危機的な状態じゃったと。

この時も、藩庁に藩の米蔵の年貢米を以て救済にあてるように願い出るがですけんど、ついに許可が下りんかった。

困った岡村十兵衛さんは、救済の為やむなく独断で米倉を開き、村人に分け与えたがです。

御蔭で村人たちは飢餓から救われたけんど、岡村十兵衛さんのした事は羽根分の一浦役人としての職務を逸脱した行為じゃった為に、謹慎処分となるがです。

貞享元年7月19日、住民達にまで処分が及ぶ事を恐れ、自ら責めを負って自害しちょります。

享年57歳。

今でも墓所は、布師田の地域の人々によって大切に守られちょります。

また、現・室戸市の鑑雄神社には本墓があり、村人たちによって義人として祀られちょります。

【 参考・引用 】 
『国史大辞典 第2巻 う-お』  国史大辞典編集委員会 (昭和55年)
『高知県人名事典』 高知新聞社 (平成11年)
『土佐の墓』 山本泰三・著 土佐史談会 (昭和62年)




[ 注意! ]
■ 墓探しで山に入る場合 は、季節によっては、マムシ(ハミ)・ヤマダニ・ヤマヒル・イノシシ・ハチ等に気を付けて下さい。
■ 特に3~12月頃の暖かい時期に山や藪に入る場合、マムシ(ハミ)には御注意の事!
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