津照寺 - 四国霊場第二十五番札所

第25番札所・津照寺

[ 高知県室戸市室津 ]


室津港のすぐ北側に標高が約15-16m程の小山があるけんど、そこが第25番札所・津照寺ながです。

寺伝によると、大同2年(807)弘法大師空海が、山の形が地蔵菩薩の持つ宝珠に似いちゅうところから霊地とし、延命地蔵菩薩を自ら刻まれ本尊とし、宝珠山真言院津照寺と号されちょります。 

第25番札所・津照寺

山門をくぐると、右側に大師堂と納経所がある。

第25番札所・津照寺

本堂に続く石段の途中にあるがが、両側に仁王像を配し、上層が鐘楼堂になっちょる鐘楼門ながです。

第25番札所・津照寺

さらに石段を上り、125段の石段を上りつめると本堂になっちょります。

第25番札所・津照寺

説明板にもあるように、『今昔物語集』に「津寺」の名での霊験が記されちょるところから、別名「津寺」とも言うがじゃそうです。

『今昔物語』と言う書物は、完成したのが平安時代末(12世紀)としか分からん、全31巻1059話(うち38話は題名のみや本文未完など不完全)からなる平安から鎌倉時代にかけての説話文学ながです。

『今昔物語集』 第17巻 第6 「地蔵菩薩 火難ニ値ヒ自ラ堂ヲ出ルヲ語ル」

今昔、土佐ノ国ニ室戸津ト云フ所有リ。
其ノ所ニ一ノ草堂有リ。
津寺ト云フ。
其ノ堂ノ檐キノ木尻皆焦レタリ。
其ノ所ハ海ノ岸ニシテ人里遥ニ去テ通ヒ難シ。
而ルニ、其ノ津ニ住ム年老タル人、此ノ堂ノ檐ノ木尻ノ焦レタル本縁ヲ語テ云ク、先年ニ、野火出来テ山野悉ク焼ケルニ、一人ノ小僧忽ニ出来テ、此ノ津ノ人ノ家毎ニ走リ行ツヽ叫テ云ク、「津寺、只今焼ケ失ナムトス。速ニ里ノ人皆出テ火ヲ消ツベシ」ト。
津辺ノ人、皆此レヲ聞テ走リ集リ来テ津寺ヲ見ルニ、堂ノ四面ノ辺リノ草木、皆焼ケ掃ヘリ。
堂ハ檐ノ木尻焦レタリト云ヘ□□焼ケズ。
而ルニ、堂ノ前ノ庭ノ中ニ、等身[人]ノ地蔵菩薩・毘沙門天、各本ノ堂ヲ出デヽ立給ヘリ。
但シ地蔵ハ蓮花座ニ立チ給ハズ。
毘沙門ハ鬼形ヲ踏ミ給ハズ。
其ノ時ニ、津ノ人、皆此レヲ見テ涙ヲ流シテ泣キ悲ムデ云ク、「此ノ火ヲ消ツ事ハ天王ノ所為也。人ヲ催シ集ムル事ハ地蔵ノ方便也」ト云テ、此ノ小僧ヲ尋ヌルニ、其ノ辺ニ本ヨリ然ル小僧無シ。
然レバ、此レヲ見聞ク人、「奇異ノ事也」ト悲ビ貴ブ事限リ無シ。
其ヨリ後、其ノ津ヲ通リ過ル船ノ人、心有ル道俗・男女、此ノ寺ニ詣デヽ其ノ地蔵菩薩・毘沙門天ニ結縁シ奉ラズト云フ事無シ。
此レヲ思フニ、仏菩薩ノ利生不思議、其ノ員有ト云ヘドモ、正ク此レハ火難ニ値テ堂ヲ出デヽ庭ニ立給ヒ、或ハ小僧ト現ジテ人ヲ催テ火ヲ消サシメムトス。
此レ皆、有難キ事也。
人専ニ地蔵菩薩ニ仕ルベシトナム語リ伝ヘタルトヤ。


簡潔に要約すると、「 津寺の本堂が火難に遭った時、本尊地蔵菩薩が僧に身を変えて村人に知らせ、火難を逃れた」という物語ながです。

また、御本尊・延命地蔵の事も、別名「楫取地蔵」と言うがです。

【楫取地蔵の由来】

慶長七年秋の頃山内家初代一豊公が室戸の沖で暴風雨に遭い困難いたされた時、何処からともなく大僧が現れ船の楫を取って御船は無事室津の港に入港する事が出来た。

ほっとした所で先程の大僧の姿が見えないがともあれ探して津寺へ参詣してみると本尊地蔵菩薩の御体が濡れており、大僧が本尊地蔵菩薩であった事がわかった、之より本尊が楫取地蔵と申し伝えられるようになりました。


第25番札所・津照寺

24番札所・最御崎寺からは約6.5km、次の26番札所・金剛頂寺へは約4km程の距離ながです。


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