伊都多神社 - 御祭神は三嶋神が龍神から救った三姉妹の一人か

伊都多神社

[ 高知県南国市前浜境目橋詰 ]


高知龍馬空港のある南国市前浜から、西は高知市との境の十市辺りまでの土佐湾沿いの海岸線に、東西に海抜5~10m位の砂丘が連なっちょるがですが、伊都多神社もその砂丘地の上に鎮座しちょる御宮さんながです。

伊都多神社

御祭神:伊豆那比咩命

由緒:勧請年月縁起沿革等未詳

当社は古来より前濱村並に三和村のうち細工所中ノ丁東場地区の惣産土神なり。

室町時代長禄2年(1458)戌年卯月5日土州安芸郡和食村庄大日寺常住、尼妙亭鰐口奉納の記録あり。

「土佐国田村下ノ庄前濱村伊都多神社二座、西殿伊都多大明神、幡多郡高知山ニ本社アリ。伊都坂ノ西也、何年カニ此ノ地御勧請有事未詳也」 又、旧祠宮横田家ノ旧記ニワ「尾張国熱田宮ヲ勧請齋キ奉ルトアリ」

按ずるに長禄2年以前より当社に御鎮座尊崇されていた古社であり、往時は特に「脚気」封じのお伊都多様として、土佐一円に病気平癒の為来拝され祭典等も随分賑やかに祭行された由。

「伊都多神社略記」より



伊都多神社
「拝殿の懸魚は鳳凰」

ここ伊都多神社は、高知県土佐清水市にある「伊豆田神社」を本社とし、同じ南国市にもう一社あり、「伊豆田神社」が姉、此処「伊都多神社」が次女で、もう一社が末娘の三姉妹の神さんじゃとも言われちょります。

伊都多神社
「拝殿の蛙股は、波と浦島太郎のような・・・」

本社の「伊豆田神社」を調べたら、下記のような記述があった。

谷重遠(秦山)の『土佐国式社考』は次の通り

「伊都多神社 伊豆多坂の西鳴川谷高知山にあり、玉石二枚を以って神体となる。

里人伝える当社は ふるく坂本川の高知山にあり、ここに何れの代に徒すか知らず、重遠請う、高知の字姑らく里人の語 に従う、河内と相近し、正説いまだ知らず、渡会氏いわく伊豆国伊古奈比■命神社、出雲国飯石神社、 出雲国風土記にいう、飯石郷伊毘志郡幣命天降り座す、けだし稲霊大御食都姫命、万物の始め人これ 天とする所なり」(原漢文)

伝説と谷秦山の土佐国式社考によって大体の事情を考察することができるが、これらを裏付ける ものとして地名がある。

坂本川高知山というのは、現在の神益(こうます)の山であろうと考えら れる。

神益は神座(かみいます)で、すなわち神の鎮座するところという意味である。

伊豆田神社は、千五百年~二千年ほど前、伊豆の国より加茂族の今の 下の加江地方に移ったと仮定して、そのとき、氏神の伊豆国賀茂郡白浜村(静岡県下田市)鎮座の 式内大社伊古奈比■命神社(いこなひめのみことじんじゃ)を勧請されたものではないかと考えられます。

【 参考・引用 】  伊豆田神社


この「伊古奈比め命神社」とは、静岡県下田市白浜にある神社で、伊古奈比咩命(女神)が御祭神ながです。

この女神さん、三嶋神社の三嶋大明神の后神なるがです。

じゃーその三嶋大明神とは「大山祇命」と「積羽八重事代主神」の二柱を三嶋大神と言うが。

大山祇命は、伊奘諾尊の御子神であり、山の神で林業、農産を始め殖産の神、衣食住の守護神であり、富士山の木花開耶姫命の御父神でもある。

積羽八重事代主紙は、俗に恵比須様とも称えられ、魚漁航海の神、又商売繁盛の神としても崇められている。

出雲の大国主命の御子神である。

三嶋大神とは、御島の神の謂であり、上代富士火山帯に属する伊豆諸島地区の噴火、造島が盛んに行われ、これを神業としたことは、国史以下にしばしばその記事を見ることができる。

【 参考・引用 】  三嶋大社:


それと

伊古奈比命神社の御祭神の三島大神(別名事代主神)は、その昔(今から二千年以 上も昔のことです。)

南のほうから海を渡ってこの伊豆にやって来ました。

伊豆でも 特にこの白浜に着かれたのは、この白砂の浜があまりにも美しかったからです。

そして白浜に着いた三島大神は、この伊豆の地主であった富士山の神様に会って伊豆の土地を譲っていただきました。

さらに、三島大神は伊豆の土地が狭かったため、お供の見目の神様、若宮の神様、剣の御子と、伊豆の竜神、海神、雷神の助けをかりて、島 焼きつまり島造りを始めました。

最初に1日1晩で小さな島をつくりました。

次に、神々が集まって相談する島神集島(現在の神津島)、次に大きな島の大島、次に海の塩を盛って白くつくった新島、次にお供の見目、若宮、剣の御子の家をつくる三宅島、次に三島大神の蔵を置くための御蔵島、次に沖の方に沖の島、次に小さな小島、次に天狗の鼻のような王鼻島、最後に10番目の島、十島(現在の利島)をつ くりました。

7日で10の島をつくりあげた三島大神は、その島々に后を置き、子供をつくりまし た。

この后々や子供達は、現在でも伊豆の各島々に式内社として祭られています。

三 島大神は、后達やその子供達を大変愛していましたが、その中でも伊古奈比・命は特 に愛され、いつも三島大神のそばにいました。

大神は、三宅島に宮をつくり、しばら くの間三宅島に居ましたが、その後最愛の后である伊古奈比・命とお供の見目、若宮 、剣の御子を連れて再び白浜に帰って来ました。

そしてこの白浜に大きな社をつくり 末長くこの美しい白浜で暮らしました。それが、この伊古奈比・命神社です。

【 参考・引用 】  伊古奈比命神社


伊豆地方の神々の縁起を調べたら3つの物語からなる『三宅記』と言うのがあり、その中に下記のようにある。

三嶋神は箱根の湖辺に住む老翁媼の女3人を大蛇(龍神)から救い、3人を后として三宅島に迎える。

3人の后もまた多くの王子を産んだ。


この3人の后(きさき)が、姉が「伊豆田神社」、次女が「伊都多神社」、三女がもう一社の「伊都多神社」の御祭神になっちょる女神さんじゃろーと思うがです。

けんど御祭神の「伊豆田神社:伊豆那命」と「伊都多神社:伊豆那比咩命」は、両者とも同じ「ヒメ」と読むき同一神のようにも・・・・・・?

因みに、「比咩」と書くのは、主神の「妻や娘神」などを指す言葉じゃそうで、一般には「比売」と書く方が多いとか。

伊都多神社


最後に、いつもの与太咄を。

「伊豆田神社」の御祭神は「伊豆那彦命」と「伊豆那姫命」の二柱じゃけんど、今まで書いたように「伊豆那姫命」は三嶋大明神(大山祇命と積羽八重事代主神)の后ながじゃけんど、じゃー「伊豆那彦命」って誰ぜよ・・・・・。

「伊豆那彦命」を神さんの一覧で調べても出て来ん。(調べようが、たらんかもしれんけんど・・・)

一神の「積羽八重事代主神」とは、実は「事代主神」の別名ながです。

その「事代主命」とは、一般に「事代主=一言主」とも言われちょるがよ。

土佐で一番偉い神さんは誰ぜよ。

「土佐神社」の御祭神が「一言主」じゃろー。

「何が言いたいか」と言うと、「伊豆田神社」の伊豆那彦命とは、「一言主」の隠された姿じゃないかと・・・。

ようするに、「伊豆田神社」は加茂氏が伊豆から遷座したがじゃのうて、元々、土佐国造に任ぜられ勢力圏に居り力を持っちょた加茂氏によって造られたがじゃないろーかと思うがです。

「伊豆田神社」の摂社は、口碑によると、伊豆田大神の母神(一説、三島溝杭比売命) であるとも言うが。

この「三島溝杭姫」とは「玉櫛媛(たまくしひめ)」の別名で、『日本書紀』では事代主神・『古事記』では大物主の妃となっちょります。

ですき、祭神の一人が后の「伊豆那姫命」で、摂社がに「事代主=一言主」の母なら、もう一人の御祭神での「伊豆那姫命」の夫になる「伊豆那彦命」は土佐神社の「一言主」じゃったとしても可笑しくはないろー・・・・。

なぜ「一言主」と言えないかと言うと、歴史上「土佐神社」の御祭神「一言主」は、続日本書紀』じゃ土佐に流されたとなっちょり、それが広く正史となっちょるがよ。

オンちゃんは、征服者・大和朝廷が本来とは違う歴史に塗り替えたがじゃと思うちゅうが(与太じゃきねー・・・)。

712年の『古事記』には、460年(雄略天皇4年)、雄略天皇が葛城山へ鹿狩りをしに行ったとき、紅紐の付いた青摺の衣を着た、天皇一行と全く同じ恰好の一行が向かいの尾根を歩いているのを見附けた。

雄略天皇が名を問うと「吾は悪事も一言、善事も一言、言い離つ神。葛城の一言主の大神なり」と答えた。天皇は恐れ入り、弓や矢のほか、官吏たちの着ている衣服を脱がさせて一言主神に差し上げた。

一言主神はそれを受け取り、天皇の一行を見送った、とある。

720年の『日本書紀』では、雄略天皇が一言主神に出会う所までは同じだが、その後共に狩りをして楽しんだと書かれていて、天皇と対等の立場になっている。

797年の『続日本紀』で、高鴨神(一言主神)が天皇と獲物を争ったため、天皇の怒りに触れて土佐国に流された、と書かれている。

これは、一言主を祀っていた賀茂氏の地位がこの間に低下したためではないかと言われている。


と言うように、時代と共に政権を司る時の権力者の良いように、正史が歪められ書きかえられちょるがです。

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最後に、土佐神社の御祭神は「味鋤高彦根神(アジスキタカヒコネ神)」と「一言主神( ヒトコトヌシ神)」となっちょちますが、各地の神社伝承からみて、「事代主」・「一言主」・「大物主」・「大山咋神」などは、【異名同神】の可能性が高いとも言う・・・・・。

あくまでも、オンチャンの与太咄でした・・・・・。


三嶋神社の祭神について

三嶋大社の祭神に関しては、古くは大山祇命祭神説・事代主神祭神説が存在した。

大山祇命説は、鎌倉時代の『東関紀行』に始まって『源平盛衰記』『釈日本紀』『二十一社記』『日本書紀纂疏』等の諸史料に見える説である。

三嶋神が伊予国一宮の大山祇神社(大三島神)に由来するという伝説に基づき、事代主神説が唱えられるまでは広く定着していた。

一方の事代主神説は、江戸時代後期の平田篤胤の『古史伝』での主張に始まる説である。

室町時代の『二十二社本縁』に「都波八重事代主神(中略)伊豆賀茂郡坐三島神、伊予国坐三島神同体坐云」とある記載に基づく。

江戸時代までの祭神は大山祇命とされていたが、幕末に事代主神説が国学者の支持を得たため、明治6年(1873年)に事代主神に改められた。

その後大正期に入って大山祇命説が再浮上したため、2柱説が昭和27年(1952年)に制定されて現在に至っている。。

【 参考・引用 】  三嶋大社 - Wikipedia




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2 Comments

オンチャン(とさっぽ)">

オンチャン(とさっぽ)  

Re: お久しぶりです。

オンチャン(とさっぽ)">

此方こそ御無沙汰です。

土佐は、ホンマに説明の付かん神さんが多い土地ですねー。

2015/02/05 (Thu) 09:21 | オンチャン(とさっぽ)さん">REPLY |   

ローカリズム  

お久しぶりです。

伊古奈比命が気になるので伊古奈比命神社には何度も足を運びましたが、おそらく賀茂氏と密接な関係があり、河津七滝(伊豆)と七ツ淵(高知)は同じ信仰から神聖視された聖地だと思います。

伊豆田や伊豆のイズは出雲のイズであり、本来は土佐が”太陽が出ずる国”という神話設定があったはずですが、日本海に逆転写されて本来の日本神話は封じられたように思います。

天津羽羽、天石門別、一言主などの中央神話では説明がつかない神々が説得力を持って土佐には配置されています。

宮地水位の件も含めて考えれば、≪土佐=元出雲≫というのが最も自然な帰結のように思います。

2015/02/05 (Thu) 03:45 | EDIT | REPLY |   

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