土佐の雪道碑 - 夏場氷室に蓄えた雪(氷)を藩主に献上に通った道

土佐の雪道碑

[ 高知県高知市行川・長畝峠  ]


高知市内を流れる鏡川上流の宗安寺、川上不動尊の西北に城ケ森と言う山があるがですが、そのチックと南側に長畝峠と言う場所があり、そこにこの「土佐の雪道碑」が建っちょります。

土佐の雪道碑

碑の下にある由来には下記のように刻まれ」ちょります。

土佐の雪道の由来

ここ長畝峠は寺川郷談に書かれている手箱山氷室より領家郷を経て高知城の藩主に献上の雪の道で歴史の道です

碑を建て後世に残します

平成三年六月吉日


手箱山と言うのは、高知城から直線距離で約38Kmの四国山地の石鎚山脈に属する標高が1803mの山で、江戸時代にゃ土佐藩の御留山とされ、東側の尾根沿いはブナ林に覆われ、その麓の吉野川源流沿いにはかつて氷室が造られちょったがです。

因みに、御留山とは江戸時代に土佐藩直轄の管理下にあった保護林の事。

此処から、冬場に降った雪を蓄えて、夏の暑い時期に藩主に固まった氷を献上するのに通った道が、この道なが。

MapFan地図・手箱山

土佐の雪道碑

この「寺川郷談」ちゅうのは、土佐藩第8代藩主・山内豊敷の時代の 宝暦2年(1752)に本川郷の寺川と言う所に赴任しちょった春木次郎八繁則ちゅう人が友人に書き送った書状に、かの地の様子を事細かに書き留めちょったがでして、その中に「手箱山氷室」の事も書かれちょったがです。

【 参考・引用 】  『本川村史』 資料編・寺川郷談

平成16年(2004)10月1日 、吾川郡伊野町・吾北村と平成の合併して、現在は吾川郡いの町の一部になっちょります。


土佐の雪道碑

八九月より山々に雪降。

それが根雪と成りて段々ふりつもり、四月まで消ゆる事なし。

兼て薪など取り元の所へ置されば、十二月正月に至り甚だ難儀しける。

手箱山と云御留山大山也。

此山に雪屋と云所あり。

いわゆる氷室也。

むかしは毎年雪を詰めし所也。

忠義君の御代迄、毎年六月朔日に此雪屋の雪を取りて壷に納め、夜送の早飛脚にて雪を献しけるとかや。

領家郷の近道を今も雪屋と云う、此の故也。

今は止りて其事なし。

年内より雪を詰め置けば年中消る事なくありしと也。

氷室の跡猶今にあり。・・・・・

【 参考・引用 】  『本川村史』 資料編・寺川郷談


「忠義君の御代迄」とあるので、氷を献上する習わしは、土佐藩第2代藩主・山内忠義(1605-1656)の時代で廃止されたがですねー。

遥か山奥から献上のための早飛脚は、長畝峠を南に越えて宗安寺に下り、鏡川沿いに城下に走ったがでしょうか・・・・・。

t峠のお地蔵さん

碑の上にあるのは、屋根の付いた寛政七年(1795)銘のある古いお地蔵さんが建っちょり、峠を行き来する人らーの、安全を見守って来ちょります。

オンちゃんも、写真を撮る前に「合掌」・・・・・。

お地蔵さんの「上屋根」に関して、下記の本に記述あり。

・・・・・以前は立派な松もあったが、この著者が本を記した頃に倒れ、地元の人はそれを売った代金の一部で地蔵様の上屋を作ったとか。

何ともいい話である。

【 参考・引用 】  『土佐の峠風土記』 山崎清憲・著 高知新聞社  1991




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