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下元西州塾跡 - 武市瑞山の叔父・鹿持雅澄も門人の一人じゃったと

下元西州塾跡

[ 高知県須崎市西古市町 ]


下元西洲 (しももと せいしゅう)は明和2年(1765)に高岡郡下分村(現・須崎市)の郷士の家に生まれ、名を真清(ますが)、通称・良助と言い、叔父・下元起敬の養子になっちょります。

高畠東陵に書を学び、国学者・谷真澄に弟子入りし和漢・詩歌に通ずる。

高畠東陵

寛延元年生まれの土佐藩士で、江戸で細井広沢の門人・平林淳信(あつのぶ)に書を学んだ、江戸時代中期-後期の書家。

因みに東陵の祖は小倉三省の二男になりますき、墓所は小倉墓地の一角にある。

小倉省助・三省父子の墓 - 小倉三省は藩政初期の重臣で儒学者 2013-08-30


谷垣守・真潮邸跡 - 谷家の学問が尊王思想を説く 2011-07-03

須崎村に居を定め家塾を開き、書家として40年間で1,000人の門弟を指導したそうながです。

その門弟の一人に鹿持雅澄がおるがです。

鹿持雅澄の妻・菊子さんは、武市半平太の叔母さんになる人ながです。

鹿持雅澄生誕地・邸跡 - 妻は武市半平太の叔母 2010-04-14

因みに、土佐の郷土史家・橋詰延寿の本に、鹿持雅澄に付いて下記のような記述がある。

・・・・・鹿持雅澄はなかなか美しいりっぱな字を書いております。

ところがこの大先生もはじめのうちは大して字は上手でなかったようであります。

鹿持雅澄はむしろ弟子が上手な位いであったといいますが、この下元西洲の感化をうけ発憤してそれから書道を勉強したという話であります。・・・・・

【 参考・引用 】  『須崎風土記』  橋詰延寿・著 (昭和36年)


人々は下元西洲の徳を仰いで「下元先生」と尊称し、名を呼ばんかったと・・・・・。

文政13年(1830)に66歳で亡くなっちょりますが、弟子たちは下元西洲を偲び、愛用しちょった筆を集め、西町の大師堂の傍に筆塚を建てちょります。

【 参考・引用 】  『高知県人名事典』 高知新聞社




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