西内清蔵 - 坂本龍馬も洋式小銃の射撃術を学ぶ

西内清蔵墓

[ 高知県高知市小高坂・大平山 ]


高知市山ノ端町の一角のブロック塀に「龍馬を育てた道 - 西内清蔵の的場」と言う道標が設置されちょりますが、坂本龍馬も此処で洋式の小銃射撃術を学んじょります。

西内清蔵の的場 2010-03-16

坂本龍馬は土佐で高嶋流砲術を徳弘董斎、洋式銃の射撃を西内清蔵に学んじょりますが、江戸での剣術修行中に起こった黒船騒ぎで防衛の為の砲術の必要性を感じたがでしょうか、更に佐久間象山に西洋砲術を学んじょります。

けんど、龍馬の砲術に関する知識や射撃の技量は、既に土佐に居る時点である程度習得しちょったと思うがです。

知識や射術は徳弘董斎や西内清蔵に学び習得し、その延長線に坂本家の持山じゃった坂本山を度々訪れては田中良助さんと狩りをする事で射撃の練習もしよったがでしょう。

徳弘董斎邸跡 - 龍馬の高嶋流砲術の師匠 2009-11-23
田中良助邸 - たびたび坂本龍馬も訪れた場所 2013-07-26

西内清蔵は、文化14年(1817)に百人並郷士の家に生まれちょります。

早くから砲術は田所左右次に学び、嘉永3年(1850)藩命で西国に砲術視察に出、翌年帰国しちょります。

帰国後、自邸に的場を造り、砲術を教えちょります。

坂本龍馬の他に、谷干城も門人の一人じゃったそうです。

【 参考・引用 】  『高知県人名事典』  高知新聞社


田所左右次 - 土佐藩の砲術家で土佐勤お日にゃ王党にも参加 2014-04-07
谷千城旧邸跡 - 硬骨の土佐人 2011-09-10

墓碑にゃ、「文久元辛酉年(1861)十一月廿五日 享年四十五」と刻まれちょります。

因みに右後方にある西内義顕墓は、門人の一人じゃった島田義顕と言う人で、養子になっちょります。

戊辰戦争に参戦後、旧士族救済の為に養蚕業の振興に努め、土佐の生糸を紙につぐ大産物にした。

【 参考・引用 】  『土佐の墓』  山本泰三・著




[ 注意! ]
■ 山に入る場合 は、季節によっては、マムシ(ハミ)・ヤマダニ・ヤマヒル・イノシシ・ハチ等に気を付けて下さい。
■ 特に3~12月頃の暖かい時期に山や藪に入る場合、マムシ(ハミ)には御注意の事!
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