兜木神社 - 本山・長宗我部が戦った朝倉合戦の戦死者を弔った神社

兜木神社

[ 高知県高知市鴨部・県立西高校 ]


吉田惣右衛門孝世が残した「土佐物語」には下記のようにある。

「鴨部の宮の前に馳せ向ひ、両方の鬨の声を上げ、火を散らして相戦ふ」

【 参考・引用 】  『高知市歴史散歩 2 』 広谷喜十郎・著


その「宮の前」とは鴨部上町にある郡頭神社の事だそうで、永禄5年(1562)本山軍と長曾我部軍との最後の激戦「朝倉合戦」が繰り広げられたのが、現在の郡頭神社辺りから西高校の周辺じゃと言われちょり、此の時の双方の戦死者は、その数「吉良(本山)一族二十三人、其の外二百三十五人まで討たれれば岡豊方の討死五百十一人」と記されちょるそうです。

その戦死者の遺骸は、双方の一族や名のある武将たちは手厚く葬られたろーけんど、足軽や一両具足と呼ばれる最下層の戦兵たちは野に屍を晒し、多分、見かねた周辺の民が其処に盛土を盛って埋葬したがでしょう。

それらを一ヶ所にまとめて供養したのが、鴨部の西高校校内にある「兜木神社」ながです。

吉田惣右衛門孝世 - 長宗我部氏軍記『土佐物語』著者 2012-04-16
郡頭神社 - 延喜式神明帳の「古保里都神社」名の意味するものは?2014-01-24

兜木神社

神社由来記

中世末期、土佐も戦国乱世で、各地に戦いが起こっていた頃、長岡郡本山から南下して来て朝倉城を奪い、そこを居城とした国人本山氏は、この鴨部地域を含む浦戸湾西岸から仁淀川までの土佐中原を支配した。

永禄3年(1560)長岡郡岡豊城を本拠とする国人長曾我部氏は、長浜城への侵攻を皮きりに、本山氏の居城を次々と陥し、土佐郡秦泉寺方面から西進して、現高知市の北部山麓の地侍と諠みを通じたのち、本山城の居城朝倉城に向い、永禄5年(1562)ごろ、朝倉から鴨部・神田地域が戦場となって、双方多くの戦死者をだした。

今これらの地区における住宅や田畑の片隅にみられる祠は、戦死者の霊を祀ったものである。

この地でも多くの盛土がみられた。

それを一ヶ所にまとめ「兜木神社」と命名し、年二回(春・秋)祭礼を執り行っている。



創立50周年事業として老朽化した立て札を立て替え寄贈する

平成19年11月17日

高知県立高知西高等高校 校友会




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9 Comments

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マサムネ さんへ  

Re: これから

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早々に、行ってみたら、綺麗な祠に遷座されちょりました。
当方も、マサムネ さんへや、ただおきさんの御蔭で、気になっていた事が一つ解決しました事、御礼申しあげます。
ありがとう、ございました。、

2016/10/09 (Sun) 19:33 | マサムネ さんへさん">REPLY |   

マサムネ  

これから

まずは廃絶ということでなかったのですから、従前より達磨サン奉納等ご神事の隆盛が何より肝要かと存じます。
寧ろ「そんな神社あったの?」という時代から、本宮神社を支える御宮として地域の方々との御縁を深められますよう祈念申し上げて止みません。

2016/10/09 (Sun) 11:41 | REPLY |   
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ただおき さんへ  

Re: 八頭さん

ただおき さんへ">

情報ありがとうございます。
本宮神社の氏子なのに、今年の初詣は喪中でしたので、八頭神社が合祀されているとは知りませんでした。
氏子の高齢化により管理が出来ないのですねー。
何百年も守られていたものが、戦後、まだ70年程の短時間に、次々と地域の歴史が失われ行くのは何とも・・・・・。
早速撮影に行ってきました。
本当にありがとうございます。

2016/10/08 (Sat) 08:36 | ただおき さんへさん">REPLY |   

ただおき  

八頭さん

こんばんは・八頭さんは、氏子の高齢化で本宮神社に、いきました。銀杏もキリ残念です。
まっ・本宮さんに・ハ頭さんは、健在…のようですが、残念です。

乱文ごめんなさい。

2016/10/07 (Fri) 10:25 | REPLY |   
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Re: 拝復

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周辺の神社に合祀されていればと思います。
アドバイスありがとうございます。

2016/10/07 (Fri) 08:20 | マサムネ さんへさん">REPLY |   

マサムネ  

拝復

高知県神社庁に問い合わせられては如何でしょうか。
または廃絶が事実ならば、これを踏まえてマンガやアニメにしてもらうとか?
特にアニメになると聖地巡礼が始まるのが、最近の世相。
他の史跡も、そうあって欲しいと願います。

神社庁ですが親切な方でしたならば、尋ね先など当たって下さるかも、ですね。
行ったことは無いので、別の土地での経験ですが、よろしくない例もあらかじめ伝えたく。
戦後の神社宗教法人運営のため各地に設立された神社庁ということですが、収入が無い神社の神職サンが勤めたりもするそうです。
そうなると、歴史や伝統に関心が無く、ウチに聞かれてもねぇ、という態度です。
普段それほど喜捨していない身分では仕方が無いのかも知れませんが。
また、文化財の保護など相談しても、誰か旦那(金主)になってくれるなら祈祷は挙げますが、なんて公然と宣う方もおられましたね。
一方で、とても熱心に考えてくれて、個人情報は教えられないけど、趣旨は伝えて関心あればアナタの連絡先に連絡されるよう伝えます、という尽力をいただいた方もありましたね。
釈迦に説法でしょうが、かつて八頭社で祈祷を挙げていた神社サンが見つかる等ご進展を祈念します。

2016/10/06 (Thu) 21:56 | REPLY |   
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マサムネ さんへ  

Re: タイトルなし

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お教え頂いたブログの神社が「八頭神社」です。
当方が、最後に見たのは昨年の2月頃でしたからブログに掲載された時期と粗同時期で、無くなっているのに気付いたのは、父の事でバタバタしている頃でしたから、昨年10月頃です。
僅か半年ぐらいの間に、消滅した神社です。
「八頭(やがしら)神社」は、由緒に在る八人の武将の首を祀った神社ですから、特に頭の病気に御利益があると言われていたそうですが、他にも、自律神経、腰痛や関節痛、また縁結びの御利益があると、信仰されていたそうです。
写真のお堂の中にある姫ダルマやゾウリは、お願ほどきに奉納されていたものです。
今となっては、貴重な写真ですね。
神社が撤去されて、如何なったかわからないですが、埋葬されていたと言う八人の武将の霊が鎮められていたのならいいのですが・・・・・
ありがとうございました。

2016/10/06 (Thu) 08:35 | マサムネ さんへさん">REPLY |   

マサムネ  

イオンのある旭町3丁目電停より北側路地の八頭神社ですか?
http://fronte360.seesaa.net/article/412636824.html

集落で祀ることが難しくなった神社は、大きな神社の境内社として継承されることがあります。そうした証跡は、ありませんか?

信州大学のキャンパスでも神社が廃絶した経緯があったと思います。
白翁稲荷大明神神社
陸軍も廃絶しなかった社を学者や職員は滅ぼす訳ですから、現代人って怖いですね。

東京では小さな社もビル入居の企業と個人が大切に祀っておりますよね。例え路傍や駐車場の片隅であっても。
その大切なことは「神輿」とか「集い」なのかと思います。
神輿は文字通り担ぎます。
担ぐ人々が集う限りは経済性は妥協してナンボです。
担ぐ人々が集うならば、元親公も祭神となられ神社も新設される訳ですが。

2016/10/05 (Wed) 22:54 | REPLY |   
オンチャン(とさっぽ)">

オンチャン(とさっぽ)  

鍵コメのコメントに

オンチャン(とさっぽ)">

鍵コメのコメントをいただいたのですが、内容が気になるので、あえて

> その、兜木神社を南中・高と西高との学校統廃合に伴う工事のためか?移転ではなく無くすような噂を聞きましたが本当かしら?
(中略)
> そういう歴史やなんかを葬るかのように、もうええやろうと無くすのか?あるいは、碑を建てといたらそれでいいやろうと今の人間の浅はかなとまでは申せませんが、軽い気持ちで場所がない、移転ができない、金がいる、取り潰せば今後の祭祀費が浮くなどと思ってるかは知りませんけど、うかうかとした気持ちで決めたとしたら、学校という場所だけに上海列車事故みたいなことにならにゃあえいけんどとヒソヒソと地元民が案じていること、関係者は知らんかしらん。


学校統廃合の事は知っちょりますが、兜木神社を「移転ではなく無くすような噂」があると言うのは、初めて知りました。
結論は如何なるのか判らんけんど、何処かの神社なりに合祀でもするのであればまだしも、噂のように兜木神社事態を撤去し、その後の祀り事をしないと言うのであればバチ当たりな行為じゃと思いますねー。
永禄5年(1562)頃の長宗我部・本山両軍の多くの戦死者の霊を、近隣の人々が500年近くも祀り守り続けて来たものですき、立派な歴史史跡じゃないかと思いますが・・・・・。
実は、似たような話があります。
場所は高知市南元町になるのですが、場所的にはイオン旭町店の東口につながる小路が狛犬もある参道になっちょった八頭神社がありました。
当方、由緒が判らなかったのと家から近いのでいつでも写真も撮れると思ったのが大間違いでした。
一年ほど前の事ですが、市原麟一郎さんの『高知ごりやく散歩』に、八頭神社が記載されちょるのを見て神社の由緒を知った次第です。
何でも、八頭神社は「戦国時代、鴻ノ森城が長宗我部軍に攻められた時、この辺りでも戦闘があり、此処で八人の武将が討死し、その首を埋めて祀ったから八頭神社」じゃとありました。
早々、写真をと思うて行ってみたら、鳥居も狛犬も無く八頭神社のあった場所は、コンクリートが打たれていました。
何処かに合祀したのかと思って、近くの人に聞いてみたけれど判りませんでした。
それ以上に、気になったのは由緒にある「八人の武将の首」は掘り出して供養したのだろうかと・・・・。
単純に、上物だけ撤去して清めたのではないかとか・・・・・。
ここも兜木神社と同等の歴史的な歳月は流れちょります。
残念です。


2016/09/29 (Thu) 15:55 | オンチャン(とさっぽ)さん">REPLY |   

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