王子宮 - 古式捕鯨「津呂組」の栄えた地の産土神

王子宮-室戸岬町

[ 高知県室戸市室戸岬町 ]


この地区の産土神で王子権現と言いよったけんど、明治元年3月に明治の新政府が、神道の国教化政策を行うために神仏習合の慣習を禁止しようとして発令された「神仏分離」によって、「王子宮」と改称されちょります。

御祭神は天照皇大御神。

写真の鳥居左にある細長い石柱にゃ、赤文字で「奉寄進 南極捕鯨船団一同」とある。

この室戸は、藩政時代にゃ古式捕鯨と呼ばれる伝統捕鯨が盛んな所で藩営の「津呂組」や「浮津組」と言う捕鯨組があった程で、国内の捕鯨発祥の地の一つでもあるがです。

それに、日本は昭和9年(1934)南極海にての母船式捕鯨を開始するがですが、捕鯨基地としての役割も務めた場所ながです。

神社にゃ、捕鯨に関わった「津呂組」の人々が明治八年に奉納した絵馬も含め、沢山の鯨に関する絵馬が奉納されちょるそうです。

ちょっと余談じゃけんど、昭和54年(1979)に讃岐の金刀比羅宮の「金毘羅庶民信仰資料1725点」が「重要有形文化財」に指定されちょりますが、その中に「古式捕鯨」を描いた河田小龍の絵馬があるがです。

絵馬が奉納されたがは安政2年(1855)の事で、津呂組鯨方頭元・奥宮守馬正好と言う人が、河田小龍に絵馬の制作依頼をしちょります。

最初に河田小龍が室戸に行ったのは、嘉永5年(1852)年の事。

その後、何度か室戸を訪れちょりますき、実際に「古式捕鯨」を見たがでしょうねー。

因みに、嘉永5年(1852年)と言えば中浜万次郎(ジョン万次郎)から西洋事情を聴き取って『漂巽紀畧(五巻)』を書いた年じゃし、安政元年(1854)にゃ坂本龍馬が河田小龍を訪ねた時期ながです。

もしかしたら、黒船騒ぎの話も話題に出、中浜万次郎(ジョン万次郎)から聴き取ったアメリカが「鯨油」を採るために日本近海に押し寄せて来ゆうと言うような話も交わしたがじゃないろーか・・・・・。


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