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へんろ石 - 23 第25番札所・津照寺門前の徳右衛門標石

第25番札所・津照寺門前の徳右衛門標石

[ 高知県室戸市室津町 ]


室戸市の四国霊場第25番札所・津照寺の参道入り口の寺名石の左横に、「徳右衛門標石」がある。

正面上部にゃ、「徳右衛門標石」の特徴である梵字と大師像が刻まれ、その下に「是ヨリ西寺迠(まで)一里」とある。

因みに西寺とは第26番札所・金剛頂寺の事で、第24番札所・最御崎寺を東寺と言う。

京都の東寺じゃないぜよ・・・・・(^^ゞ

第25番札所・津照寺門前の徳右衛門標石

左側面にゃ「願主 越智郡 徳右衛門」とある。

第25番札所・津照寺門前の徳右衛門標石

右側面は「室津浦富士屋九兵衛 沖吉屋与平」と刻まれちょります。

この「徳右衛門標石」ちゅう「へんろ石」は、寛政6年(1794)-文化4年(1807)頃に建てられたそうで、このブログでもようご紹介しちゅう中務茂兵衛さんの生まれたがが弘化4年(1847)じゃき、もっと古い「へんろ石(標石)」ながですがです。

そもそも今日の「第1番札所・霊山寺(発願の寺)」から「第88番札所・大窪寺(結願所)」までの四国八十八箇所霊場の巡礼のための札所番号を定めたのは宥辡真念(ゆうべんしんねん)と言う人です。

この「真念」さん、大阪寺島町に住んじょった寺も師ももたず遍路門付けをしよった土佐出身の真言宗の僧じゃった人で、寛永年間頃から空海に帰依し、本人も四国遍路を二十回以上巡礼して回ったそうながです。

現在に続く遍路の風習やスタイルを造り、最初に「へんろ石(標石)」を建てたのも、「真念」さんじゃそうです。

と言うてもこの頃は、「へんろ石(標石)」の数も少なく道に迷ったり、山道は難所だらけで疲れ果てたり、食事もろくに取れず体力の衰えや怪我・病気で途中で行き倒れで亡くなったりした御遍路さんが多かったがでしょうね。

じゃき、よう旧遍路道を歩きよったら、道端に古い遍路墓を見かけるがです。

真念から百年余経って、この、「へんろ石(標石)」を建てた徳右衛門や照蓮・冨三郎たちが次々と「へんろ石(標石)」を建て、幕末からは有名な中務茂兵衛さんらが建て、道に迷わんように遍路道を整備しちょります。

実際、今日でも一人で旧遍路道を歩きよって、ふと「へんろ石(標石)」を目にして「是より○○まで○里」とか見ると、「「あー、この道で間違いない。」と、安心するもんねー・・・・。

この徳右衛門と言う人は、越智郡朝倉村上乃村(現・愛媛県)に生まれた人で、武田徳右衛門と言うが。

この人は普通の農民じゃったそうですが、天明元年(1781)から寛政4年(1792)までの11年間に、長男・二女・三女・四女・五女と次々と失う不幸に見舞われたがじゃそうです。

悲しみにうちひさがれていた徳右衛門さんを救ったのが「お大師さん」と「遍路」の旅じゃったそうです。

そして寛政6年(1794)から「へんろ石(標石)」建てはじめ、14年かけて文化4年(1807)に成就し、それから暫くした文化11年(1814)に亡くなったと言う。

【 参考・引用 】
辿る~遍路道学術調査から―四国新聞社
生涯学習情報提供システム、<えひめの記憶>




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