一木権兵衛 - 難工事・室津港開鑿を成し人柱として海神に身を捧げる

一木権兵衛墓

[ 高知県高知市布師田 ]


四国八十八ヶ所第25番札所・津照寺参道入り口の南側に、室津港(現・室戸市の港)があるがですが、難工事じゃった室津港の改修工事を担当したがが、一木権兵衛さんながです。

この港は、室戸ジオパークとも係わりがあるけんど、南海トラフの大地震の度毎に隆起が起こり港の水深が浅くなり、寛文年間の頃にゃ、港の入口を大きな暗礁が覆い船の出入りが困難となっちょったそうながです。

室戸ジオパーク - 室戸岬乱礁遊歩道 2014-08-25

そこで、延宝5年(1677)、土佐藩の大事業として土佐藩家老・野中兼山の命を受け普請奉行となった一木権兵衛の指揮で工事がはじめられ、野中兼山が失脚させられた後も工事は続けられたがです。

けんど、如何しても最後に残った港口を塞ぐ大岩だけは除去する事ができず、「大岩は神石に違いない」と考え、工事が完成したあかつきにゃ「我が一命を奉らん」と祈願したがじゃそうです。

その願いが海神に聞き届けられたのか、工事を再開すると不思議なことに大岩は撤去出来た・・・・・。

難工事を成し得た一木権兵衛は、延宝7年(1679)6月17日夜、港上に場を構え甲冑・太刀を海神に投じ、翌未明に,海神との約束を果たすため人柱となり、切腹したがじゃそうです。

【 参考・引用 】 
『郷土を救った人びと―義人を祀る神社―』   神社新報社(昭和56年)
『海神に祈る』 田中貢太郎・著 - kaijinni_inoru.pdf:


一木権兵衛は元和3年(1617)に土佐郡布師田村(現・高知市)の長宗我部の一領具足の家に生まれちょります。

ある時、野中兼山が布師田村を通った時、権兵衛井流を目にし、その技量を認め郷士に登用されるがです。

権兵衛井流 - 野中兼山が一木権兵衛を取り立てる切っ掛けに 2014-04-05

そして、各地の河川・港湾等の工事で成果を挙げ、普請奉行にまで抜擢され野中兼山の事業を助けて行ったがです。

寛文3年(1663)第2代藩主が死去した後、野中兼山は政策に不満を持つ輩による陰謀で失脚させられるがですが、一木権兵衛は野中兼山亡き後も室津港の改修工事を続け、3年余りの難工事の末、延宝7年(1679)に完成を見届け63歳で切腹しちょります。

遺骸は、四国八十八ヶ所第25番札所・津照寺に埋葬され、現在、一木神社として祀られちょりますが、布師田の一族の墓所にも、奥さんと並んで一木権兵衛さんは眠っちょります。

【 参考・引用 】  
『高知県人名事典』 高知新聞社
『土佐の墓』 山本泰三・著 土佐史談会




[ 注意! ]
■ 山に入る場合 は、季節によっては、マムシ(ハミ)・ヤマダニ・ヤマヒル・イノシシ・ハチ等に気を付けて下さい。
■ 特に3~12月頃の暖かい時期に山や藪に入る場合、マムシ(ハミ)には御注意の事!
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