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最御崎寺 - 四国霊場第二十四番札所

第24番札所・最御崎寺

[ 高知県室戸市室戸岬町 ]


室戸岬から標高約160mじゃけんど、ちょっと急勾配の山肌を上って来ると「室戸山」の扁額のかかった仁王門にたどり着く。

第24番札所・最御崎寺への上り「へんろ道」  2014-06-02

此処が、四国八十八箇所霊場第二十四番札所で、土佐で最初の札所になっちょります真言宗豊山派の寺院で「室戸山 明星院 最御崎寺」ながです。

「最御崎寺」の読みは「ほつみさきじ」と言い、「火つ岬」(火の岬)との意味じゃそうで、海(神)に向かって火を焚く古代信仰もしくは修行等の行われちょった事を暗示しちょるとか・・・・・。

因みに、室戸岬の西に対峙しするようにある第二十六番札所・金剛頂寺を西寺(にしでら)と呼び、此処は東寺(ひがしでら)と呼ばれちょります。

第24番札所・最御崎寺

大同2年(西暦807年)に、 唐から帰国した 弘法大師(空海)が嵯峨天皇の勅願により創建したと伝えられちょり、本尊は虚空蔵菩薩。

第24番札所・最御崎寺

空海は都での学問に飽き足りず、19歳の延暦11年(792年)頃からの約5年間、山林修行を続けた。空海の『三教指帰』には「土州室戸崎に勤念す」(原文は漢文)とあり、室戸岬にほど近い洞窟(御厨人窟)で虚空蔵求聞持法に励んだとされる。

寺伝によれば空海は大同2年(807年)に、嵯峨天皇の勅願を受けて本尊の虚空蔵菩薩を刻み、本寺を開創したとされる。

当初は奥の院四十寺のある四十寺山頂にあり、現在地に移ったのは寛徳年間(1044年 - 1055年)頃といわれている。

嵯峨天皇以降歴代天皇の信仰が篤かった。延久2年(1070年)の『金剛頂寺解案』によれば、現・室戸市域の大部分が金剛頂寺(西寺)の寺領となっており、最御崎寺(東寺)は金剛頂寺の支配下にあったことが窺われる。

鎌倉時代末期から室町時代初期にかけては、金剛頂寺の住持が最御崎寺を兼帯していた。

正安4年(1302年)には後宇多上皇から寺領を寄進されているが、これは京都槇尾西明寺住持で東寺・西寺の住持を兼帯していた我宝の尽力によるものであった。

暦応4年(1341年)、足利尊氏によって土佐の安国寺とされる。

その後火災により焼失したが、元和年間(1615年 - 1624年)には土佐藩主山内忠義の援助を受け僧の最勝が再興する。

堂塔を建立、七堂伽藍を有したという。

明治に入って神仏分離令によって荒廃するが、大正3年(1914年)には再建された。

【 参考・引用 】  最御崎寺 - Wikipedia




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