小南五郎右衛門 - 上士にあって土佐勤王党への理解者の一人

小南五郎右衛門墓

[ 高知県高知市秦泉寺・中天場山 ]


小南五郎右衛門は、文化9年(1812)高知城北江ノ口村(現・高知市)に生まれちょります。

幕末に土佐藩の大目付や側用役等の重職を務め、土佐藩第12代藩主・山内豊資や豊煕、容堂、豊範に仕えた人で、佐幕派の多い土佐にあって土佐勤王党への協力者の一人じゃったと知られちょります。

その為、土佐勤王党の獄の際にゃ格禄・名字帯刀召し放し(藩士の資格と苗字帯刀を剥奪され、百姓町人同様の身分に格下げ)されると言う、屈辱的な処置を受けるが、慶応3年(1867) 山内容堂が徳川慶喜に大政奉還の建白書を提出した後に、元の士格に復権し、土佐藩の大目付となるがです。

戊辰戦争にゃ、高松攻めや土佐迅衝隊にも従軍しちょります。

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維新後は、新政府より国事掛(国事を議するために設けられた役職)を命ぜられるが、藩政多難を以て辞し、土佐に戻り、高知藩権大参事などを務めちょります。

小南五郎右衛門墓

明治9年(1876)上京し、三条太政大臣(三条実美)より、「旧藩勤中、心を国事に竭候段奇徳之事(幕末の土佐藩に於いて、勤王のためによく尽くしてくれた・・・・・と言うような意味じゃろうと思いますが)」として、特旨を以て銀杯一組、金200円を下賜されちょります。

そうした事も関係しちゅうがじゃろーか、墓石の「小南五郎之墓」と言う題署は三条実美の文字と刻まれちょります。

また細川潤次郎が撰文を書いちょります。

明治15年(1882) 71歳で亡くなっちょります。

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【 参考・引用 】
『高知県人名事典』 高知新聞社
『土佐の墓』 山本泰三・著 土佐史談会


[ 注意! ]
■ 山に入る場合 は、季節によっては、マムシ(ハミ)・ヤマダニ・ヤマヒル・イノシシ・ハチ等に気を付けて下さい。
■ 特に3~12月頃の暖かい時期に山や藪に入る場合、マムシ(ハミ)には御注意の事!
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