六條八幡宮 - 武士の守護神八幡様を祀り紫陽花神社として知られちゅう

六條八幡宮

[ 高知県高知市春野町西分  ]


撮影日:2014.06.13

諸木井筋用水の流れる春野の高知市役所春野庁舎前を東に300m程行った所に、六條八幡宮が鎮座しちょります。

六條八幡宮

此処は、「紫陽花の神社」として知られちょります。

六條八幡宮

そんなに広うはない境内じゃけんど、杉や槙の樹木に覆われた木立の中に、沢山の紫陽花が見頃になっちょりました。

六條八幡宮

以前にも御紹介はしちょりましたが、この「六條八幡宮」 は応永9年(1402)室町幕府・足利義満の時代から続く、由緒ある古社で、京都六條左女牛八幡宮から御分霊を移し迎えて、この地の産土神として祀られちょります。

天喜元年(1053年)、仏説による末法末世の世の1年目にあたることから、後冷泉天皇の勅願により源頼義が左女牛西洞院にあった自邸内の坤の隅に造営された石清水八幡宮の若宮(新宮)であったために左女牛八幡宮と称され、また左女牛通の北を六条大路が走り、頼義邸はその間に位置したために六条左女牛若宮や六条八幡宮とも称され、毎年8月に放生会を行う例とされたが、その後保延6年(1140年)正月に石清水八幡宮が火災によって社殿焼失に遭った際には左女牛の若宮に遷座したとの夢告ありと京中の道俗男女の参詣が盛んとなったという。

爾来源氏の氏神として同氏からの崇敬を受け、源頼朝は大江広元の弟の季厳阿闍梨を別当職に任じ、文治元年(1186年)12月には土佐国吾川郡の地を寄進、建久元年(1190年)と同6年に上洛の際には石清水八幡宮と唯2社のみの社参を行い、以後鎌倉時代を通して将軍家代々の社参が恒例とされたり、武家尊崇の大社として地方的にも篤い崇敬を受けた。

【 参考・引用 】  若宮八幡宮社 - Wikipedia:



この地に京都六條左女牛八幡宮から御分霊を移し社を造ったのには、源頼朝との関係があるが。
 
源頼朝が、大江広元の弟・季厳阿闍梨を別当職に任じ、文治元年(1186)土佐国吾川郡の地を京都六條左女牛八幡宮領の荘園として寄進しちょります。

六條八幡宮 - 春野 あじさい神社 2011-06-04

六條八幡宮の由緒(六條八幡宮 - 春野 あじさい神社 2011-06-04に掲載)にもあるように、御祭神は応神天皇じゃき神仏習合思想によって「八幡大菩薩」として崇められ「八幡様」と親しまれるちゅう、「源氏の守護神」でもあり「武士の守護神」とも言われる神さんを祭祀しちゅうがです。

源氏が平家を滅ぼしたのち、各地に「八幡様」が造られて行ったがは、ひとえに源氏の勢力を誇示する目的もあったがでしょうねー。

六條八幡宮

六條八幡宮が鎮座したのは足利幕府の室町時代になるけんど、足利氏も清和源氏の一門で武士が政権を司る時代じゃき、源頼朝から脈々と続く「武士の守護神」が、何時しか「八幡様」として民間信仰に受け継がれ行ったがじゃないろーか・・・・・。


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