岩屋山薬師寺 - 琳猷上人が源希義の念持仏を安置したのが始まりとか

岩屋山薬師寺

[ 高知県高知市介良丙 ]


高知市内から東の方向に介良三山と呼ばれる山々があるがですが、その中の鉢伏山(標高約213m)の麓近くに岩屋山薬師寺はあるがです。

岩屋山薬師寺

まあ麓じゃ云うても、ちょっとばかり急勾配の石段を約40mほど登らんといかんがですが・・・。

岩屋山薬師寺

石段は約200段近くあるがですが、途中から二つに分かれ右手の男厄坂を登ると境内に登れ、左手の女厄坂は寺の外塀沿いに続いちょります。

写真は、境内脇から女厄坂を見下ろしちょります。

岩屋山薬師寺

この薬師寺は山号を岩屋山と言い、真言宗豊山派のお寺ながでして、本尊は薬師如来じゃそうです。

寺の由来じゃと、平安時代末期の、平治の乱で敗れ土佐国介良荘に流罪となっていた源義朝の子・源希義が、治承4年(1189)8月同母兄・頼朝の挙兵を受けて旗挙げに呼応したけんど、平重盛の家人・蓮池家綱・平田俊遠に敗れ、平家の追捕の手にかかり討ち死するがです。

源希義の師であった介艮の住僧・琳猷上人が、死を悼んで寺院を興し希義の念持仏を安置したのが、岩屋山薬師寺の始まりであると伝えられちょるそうです。

薬師寺 (高知市) - Wikipedia:


また琳猷上人は、源希義の墓の上に希義神社を建てて菩提を弔うちょりますが、琳猷上人が源希義の菩提を弔うた事に関する記述が、鎌倉幕府の歴史書『吾妻鏡』にみられるがです。

文治三年(1187)五月小八日己酉。為土佐冠者希義主追善。於彼墳墓。被建一箇梵宇。以介良庄恒光名并津崎在家。御寄附先訖。而今日又有沙汰。供料米六十八石。為毎年役被施之。若令不足者。引募庄内乃貢。可沙汰渡琳猷上人。於事可施芳志之由。被仰遣源内民部太夫行景。〔于時介良庄地頭兼預所也。〕

[現代語]

文治三年(1187)五月小八日己酉。
頼朝様の同母弟の土佐冠者希義の死後を弔うために、彼のお墓に一軒のお堂を建ててあります。
介良庄(高知市介良)恒光名津崎の農作民の在家の年貢を宛がいました。
それでも、今日新たに決められたのが、供養の儀式の費用として供料米六十八石(1石150kgなので約10トン)を、毎年の役目として与える事にしました。
若し足りない時には、介良庄の年貢から差し引いて、琳猷上人へ指図をして渡すように。
実施の際は心を込めて丁寧にするように、源内民部太夫行景に命令を出されました。
〔この時の介良庄の地頭と預所なのです。〕

【 参考・引用 】 吾妻鏡入門



希義神社に付いては、また折を見て掲載しますき・・・。

吉良城址 - 源希義の末裔で清和天皇から続く名門・吉良氏の居城跡 2014-04-28
源希義の鞍掛けの岩 - 源義朝の五男で、この地で討たれる 2012-04-15

なかなか歴史的にも由緒のあるお寺じゃったがですねー。

知らんかった・・・(^^ゞ

岩屋山薬師寺

寺の説明板にゃ曼荼羅八十八ヶ所の一つじゃと書かれちょります。

新四国曼荼羅霊場は、徳島県・香川県・愛媛県・高知県にある88ヶ所の神仏合体の霊場のことで、平成元年(1989年)に四国の寺院・神社が集まり開創された。

霊場寺院は5つの部会に分かれており、第1番~第6番および第71番~第88番が徳島部会、第7番~第24番が香川部会、第25番~第54番が愛媛部会、第55番~第60番が高知部会、第61番~70番が中央部会となっている。

神仏の力を結集して曼荼羅の世界を作り上げたとし、霊場は5部の道場で構成されており、地(知恵)・火(愛情)・水(和合)・風(創造)・空(歓喜)の道場すべてを巡ることで曼荼羅の力を得ることが出来るとされる。

札所の順番は徳島県から始まり香川県、愛媛県、高知県、徳島県となっており、順打ちをすると四国の代表的霊場である四国八十八箇所とは逆方向の巡拝となる。

新四国曼荼羅霊場 - Wikipedia:



岩屋山薬師寺

境内からは、眼下に介良の田園風景が広がり、正面に五台山が見えちょります。


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