吉田伊賀之介重康 - 父は通称・大備後事、吉田重俊

吉田伊賀之介重康

[ 高知県安芸郡芸西村西分 ]


上記写真にある石碑の北側に鎮守の森のような、こんもりとした木立の中に、こんまい祠があるがです。

たまたま行った時、扉が開いちょりましたので、中を確認したら祠の中に墓石が御祀りされちょりました。

文字が浅いけんど「吉田伊賀之介」と刻まれちょりましたき、失礼のないように一度手を合わせたのち、撮影させてもらいました。

吉田伊賀之介重康

この人は、長宗我部国親、長宗我部元親の2代に渡って仕え、智勇に優れ上夜須城主に任ぜられた、通称・大備後として知られちょります吉田重俊の嫡男になるがです。

父・吉田重俊の兄は、長宗我部氏の知恵袋として活躍した吉田孝頼ながです。

吉田城跡 - 城主・吉田周孝は吉田東洋の祖 2010-12-16

また、吉田伊賀之介重康の弟は、長宗我部家臣・江村親政の養子となり、父・吉田重俊と同じく「備後」を名乗ったため、通称・小備後と呼ばれちょります江村親家ながです。


永禄6年(1563)長宗我部元親が本山氏を攻めた時、吉田重康は合戦に出撃中、留守を狙った安芸氏に夜須城と共に馬ノ上城も襲われたが城中一致して死守し安芸軍を撃退し、その後、岡豊城を攻撃していた安芸軍の背後をも急襲し岡豊城を守ったそうながです。

【 参考・引用 】 『土佐の墓 その三』 山本泰三・著


吉田惣右衛門孝世 - 長宗我部氏軍記『土佐物語』著者 2012-04-16


[ 注意! ]
■ 山に入る場合 は、季節によっては、マムシ(ハミ)・ヤマダニ・ヤマヒル・イノシシ・ハチ等に気を付けて下さい。
■ 特に3~12月頃の暖かい時期に山や藪に入る場合、マムシ(ハミ)には御注意の事!
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