吉良城址 - 源希義の末裔で清和天皇から続く名門・吉良氏の居城跡

吉良城址

[ 高知県高知市春野町弘岡上大谷 ]


土佐の戦国時代、土佐七雄(本山氏・吉良氏・安芸氏・津野氏・香宗我部氏・大平氏・長宗我部氏)の1人に数えられる豪族じゃった吉良宣直の支配しちょった吉良城址ながです。

写真の中央部峰の右、やや平坦になっちゅう辺りが本丸の周辺になるようです。

『土佐国古城略史 全』吉良城の項の冒頭にゃ、下記のように記されちょります。

森城曰、荒倉山麓諏訪神社の南敷町に在り。

城主、吉良駿河守宜直。

姓は源氏、土佐冠者希義の子、吉良八郎の後、世々吾川郡大野郷吉良ヶ峰に居り五千貫を食む。

【参考・引用】 『土佐国古城略史 全』 宮地森城 著


保元元年(1156)の「保元の乱」に勝利した後白河天皇の院政によって生じた朝廷内の対立から、平治元年(1159)に起こった政変を「平治の乱」と言うがですが、2012年に放送されたNHK大河ドラマ『平清盛』21話「保元の乱」と26話「平治の乱」でも放送されたようじゃき、あらすじを御存じの方もおりますろー。

この「平治の乱」で平清盛と源義朝が朝廷の争いに巻き込まれて戦い、源氏は敗れ平清盛が実権を握り平氏の政権が誕生するがです。

その敗れた源義朝の子にゃ、後に鎌倉幕府を開いた源頼朝、鞍馬寺に預けられた源義経、そして土佐に流刑された源希義がおるがですが、吉良氏はこの源希義の末裔じゃと言われちょります。

源希義の鞍掛けの岩 - 源義朝の五男で、この地で討たれる 2012-04-15

吉良城址

吉良城址の麓の集落は、もとは吉良氏の土居跡(城郭や屋敷地の周囲に防御のために築いた敷地)のようです。

吉良城址

この吉良城址は築城年代は不明じゃけんど、源希義の子・吉良八郎が築いた平山城で別名・吉良峰城と言うがじゃそうです。

吉良城址

城址への登り口から数十メートル程は、急勾配の鬱蒼とした竹林の斜面が続いちょりました。

途中まで上ったけんど、結構な勾配の山道が続いちゅうのと、時期的にマムシが怖いき今回は断念し、また寒くなったら時期を見て、上って見たいと思うちょります。

吉良城址

この吉良城主・吉良駿河守宜直と言う人は文武両道・温和聡明な人じゃったそうで、周防(現・山口県)から南村梅軒を招き土佐南学の礎を築いた人として、土佐じゃ知られちょります。

南学発祥の地 2009-10-10
小倉省助・三省父子の墓 - 小倉三省は藩政初期の重臣で儒学者 2013-08-30
谷垣守・真潮邸跡 - 谷家の学問が尊王思想を説く 2011-07-03
谷時中の墓 - 「土佐南学」中興の祖 2009-10-11

永正14年(1517)吉良氏の西方の勢力圏を持っちょった津野元実が一条氏に敗れ、また吉良城の北約5Km程の所に本山氏が朝倉城を築き高知平野に進出して来るがです。

朝倉城址 - 朝倉 2009-02-03
八代八幡宮 - 本山茂辰の氏神さん 2011-11-05

西を一条氏、北を本山氏に挟まれ窮地に至った吉良氏はこの情勢を打開せんとし、支城・森山城址を築き一条氏と通じるようになるがです。

森山城址 - 元は吉良城主・吉良氏の支配地 2011-10-31

しかし天文9年(1540)吉良駿河守宜直が仁淀川での「鵜飼」の宴を興じる事を知った朝倉城の本山茂辰は、隙を狙って奇襲をかけるがです。

軍を二手に分けた本山茂辰は、鵜来巣城の鵜来巣弾正に手薄になった吉良城を攻撃させ落城させちょります。

鵜来巣城址 - 本山一族の本山紀伊守の居城 2011-10-10

もう一手は「鵜飼」の宴に興じ酔った頃を見計らって攻撃を仕掛け、吉良駿河守宜直は応戦したものの仁淀川にあった「如来堂(現在、場所は不明)」付近で流れ矢を受け「もはやこれまで」と自刃して討死にしたがじゃそうです。

吉良城を落とした本山茂辰は、吉良式部小輔茂辰と名乗り土佐中央部を手中に治め支配するがです。

しかし、永禄6年(1563)東部で勢力を拡大して来た長宗我部氏との戦いに敗れた本山氏は、この吉良城や朝倉城を捨て本山城へと撤退して行ったがです。

その後、吉良城は長宗我部元親の弟で吉良宣直の娘を娶っていた長宗我部親貞を入城させ、清和天皇から続く由緒ある吉良の家柄を断絶させるのは忍びないとして、吉良左京進親貞と名乗らせ吉良家を継がせるがです。

天正14年(1586)長宗我部元親の嫡男・長宗我部信親が戸次川の戦いで戦死して跡継ぎ騒動が起こると、吉良親貞の子・親実は元親の次男・香川親和を推し、4男である長宗我部盛親を推す久武親直と対立し、跡継ぎを進言した諫言が元親の逆鱗に触れ、天正16年(1588)比江山親興らと切腹を命じられるがです。

この事件が、「七人みさき」伝承に繋がるがです。

七人ミサキ - Wikipedia



岩村土居城 - この周辺が津野親忠が幽閉された地 2012-09-29
久武肥後守昌源 - 長宗我部譜代の家臣で久万城主 2011-05-01

こうして皮肉にも、長宗我部元親が残そうとした名門「土佐・吉良氏」は滅亡し、また長宗我部元親の実弟の子でもあり甥っ子にもなる親族の吉良親実までも葬り去ったがです。

そして、吉良城は長宗我部元親の跡を継いだ長宗我部盛親の支城となるけんど、関ヶ原の戦いで敗れ、何時しか廃城になったと云う。

【参考・引用】 
『土佐国古城略史 全』 宮地森城 著
武家家伝_土佐吉良氏:
吉良氏 - Wikipedia:




MapFan地図へ


[ 注意! ]
■ 山に入る場合 は、季節によっては、マムシ(ハミ)・ヤマダニ・ヤマヒル・イノシシ・ハチ等に気を付けて下さい。
■ 特に3~12月頃の暖かい時期に山や藪に入る場合、マムシ(ハミ)には御注意の事!
関連記事

  



0 Comments

Leave a comment