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北添佶磨記念碑 - 新撰組に襲われ池田屋騒動で散る

北添佶磨顕彰碑

[ 高知県高岡郡日高村岩目地 ]


日高村の国道33号線沿いに、此の地の庄屋の跡目を継ぎ、土佐勤王党にも117番目に血盟同志と成った北添佶磨の記念碑が傍に植えられた木々に隠れるように建っちょります。

幕末の尊王攘夷と言う熱い激流の渦の中に、妻と離別までして飲み込まれて行った。

文久3年(1863)坂本龍馬の説く北海道防備開拓に同調し能勢達太郎・小松小太郎・安岡斧太郎らと蝦夷地探査に赴くが、小松小太郎は旅の途中病にかかり、無念にも返らぬ人となるがです。

そして北添佶磨も、元治元年(1864)京都三条小橋池田屋に同志が集合した所を、新選組に急襲され戦闘と成り享年32歳で亡くなるがです。

この時の戦闘で、北添佶摩の他かに石川潤次郎・望月亀弥太・藤崎八郎・野老山吾吉郎の五名の土佐の志士が無念にも祇園祭の夜に命を散らしたがです。

北添佶磨顕彰碑

北添佶磨顕彰碑

記念碑の傍にある標柱にゃ「昭和41年12月吉日 郷土史家 平尾道雄 碑文」とある。

天保4年岩目地村庄屋与五郎の五男として生まる
実名は正佶(まさただ) 松陰または対松軒と号し本山七郎と変名す
間崎滄浪を師とし文武を修め志を王事に存す
諸国を遊説しました
遠く北海道を視察して坂本竜馬と北辺の防備開拓を得る
未だ志を得ずして元治元年6月5日京都三条小橋池田屋の○○殉す

【 碑文より 】


平尾道雄墓 - ベレー帽の平尾さんと慕われた偉大なる郷土史家 2011-12-24


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